Interview

小岩秀太郎(全日本郷土芸能協会):
第3回「芸能本来の在り方を考える」

2015年4月20日

民俗芸能って何だろう?そこから見えてくるものは一体何なのか?
実際に民俗芸能に関わる方々にインタビューすることで、様々な角度から掘り下げていきます。
第1回は公益社団法人全日本郷土芸能協会職員の小岩秀太郎さん。岩手県一関市舞川地区出身で、地元の芸能である行山流舞川鹿子躍の伝承者でもあります。東京を拠点に芸能のネットワーク作りを行うと同時に、「東京鹿踊」を結成し、芸能の本質的な在り方を伝える活動を精力的に行っています。
そんな小岩さんへのインタビューテーマは、「いま、民俗芸能を伝えるということ」。
芸能そのものの在り方や魅力について、小岩さんご自身の経歴に触れつつ、かみ砕いてお話頂きました。
(聞き手・高橋亜弓 撮影・田中有希)

初めはいやいやだった、鹿子躍

ーそもそもの鹿子躍との出会いは、小学校で習ったことにあると伺いました。

小岩:うん。鹿子躍自体はフォルムがカッコイイから嫌いじゃなかったんだけど、運動が苦手だったから最初はいやいやだったね。自分がああいう動きをするのは無理でしょ、みたいな。

ーでもやってみたら面白かった。

小岩:そう、やってみたら、あれぇ俺動ける、はじめて運動出来ると思ったのね、そのときね。でも、他の人間はみんな運動できるしそこで比べられるの嫌だったから、自分独自の動きをしてやろうっておかしな方向に進んでいったんだよね(笑)。でもそれが褒められて。そっからはまっていった。

地域学習が鹿子躍を発見させた

ー学校で教わる前に、鹿子躍を見聞きする機会はあったのでしょうか?

小岩:一切ない。でもその頃(1990年頃)小・中学校の課外活動が活発で、地域学習で土地の文化を掘り起こす研究をやってたのね。それすごい良いことだなと思って。こないだも地元(舞川地区)帰ったときに中学校に提案してきたんだけど、そういうことしないと自分の土地を知って考えてもらうきっかけってないんだよね。中学生までその土地にいるのに、15年間何も知らないでただ家と通学路の往復だけじゃあね。せっかくその土地に生まれたのであれば、その土地を知ってた方がいいんじゃないのって。で、たまたま俺が通ってた小・中学校の頃の先生たちはそういう思いがあって、地域のことを知りましょうって無理くりやらせてた。

ー無理くり(笑)

小岩:そうそう。だって野球やってたいんだもんみんな。わざわざ模造紙に研究したものを書きなさいっていわれて、班で4人1組とかでさ。やりたくもないものをやらされてたわけ。でもある時、お爺さんに嫌々ながら話を聞きにいった子たちが出会ったんだよね。なんだかあのジジイ、鹿子躍っていうのをやってたらしいぞと。そっから火がついたみたい。話を聞いた女の子たちがやりたいやりたいって言い始めて。結局それが鹿子躍を発掘するきっかけになったらしい。(※1)

(※1)この地域学習がきっかけに、当時の教育委員会と舞川鹿子躍保存会とが協力して鹿子躍の伝承を始め、現在では小学校の授業に取り入れられている。小岩さんは小学校で教わった後、卒業後から現在に至るまで保存会のメンバーとして踊りを続けている。

ー話を聞きにいってみたらたまたま鹿子躍という言葉が出てきた。

小岩:そうそうそう。だから先生たちも、適当に矢を当てたんだろうね。そしたらその爺さんがたまたま鹿子躍っていうのをやってた。

ーすごい(笑)。その方は当時も鹿子躍をやられてたんですよね?

小岩:当時もやってた。でもなんでそれがぼくらの目に触れなかったかというと、祭りに出るっていうよりも、どっちかっていうと無くなっていく芸能を守らなきゃっていう日本の政策の影響が大きかったんだろうね。戦争があって、すべてが無くなりかけていく中で、それを保存しなきゃいけないっていう流れが強かった。だからその頃からいわゆる保存会、文化財っていう観念が(日本全国的に)強くなっていった。それで当時の踊り手は、自分が踊りを守ってるんだっていう思いの方が強くなるから、外に見せる必要はなかったわけなんだよ。神社に出てったとしても、あえて誰かに言わなくたっていい。だから子供の頃は見る機会がなかったんだよね。

ーお祭りでというより、形式的にかたちを残していくためにやってたんですね。

小岩:そう思う。まぁその頃ね、お祭りやろうにも人口流出が激しかったし、みんなで集まろうっていうこともなかった。大きいお祭りでもなくなってきてたから、そういうところでちょろっと鹿子躍や神楽が出ようと、みんな気づかないうちに終わっちゃってた。

芸能伝承者としての想い

ー現在では小岩さんも舞川鹿子躍の伝承者として岩手や東京でのお祭りや企画に出演することが多くなってきていますが、当時と比べると保存会の在り方は変わってきているのでしょうか。

小岩:変わってくるように仕向けている。いくつかフェーズがあって。鹿子躍っていうものはそもそも舞川住民にとってそれほど知られていない存在だったんだよ。でも舞川鹿子躍っていうのは、古い古文書とかも残っていて、研究者が興味を持った団体だった。だから昔の研究者とかダンサーも舞川にこっそりやってきて、話を聞いていってた。で、それが本に載ったりすると、県外からも声がかかるようになったりして、舞川の人たちは誰も知らないのに、外の人たちは知ってるっていう状況になってきてたの。そうやって地域から離れて舞台なんかに出るようになると、見せる方も欲が出てきて踊り自体もどんどん切ったり貼ったりするようになる(※2)。

(※2)舞台では出演時間が限られているため、一演目に数十分かかるものが多い芸能は、踊りのハイライトをみせるために演出を加えざるを得ないことが多い。

小岩:でももともと古文書っていうものがあるわけで、そこにすべて(本来の在り方が)書き記されている。さっき話した地域学習の時に、子供たちがそれを見直してみようって保存会の爺さんたちに聞いてみたそうなんだよね。爺さんたちは外に見せる芸能をやってきてたわけだから、当然そんなのは知らない。でも爺さんも子供たちから聞かれたらビビってもう一回調べ直すでしょ。そしたら、あ、うちってこんなにすごいとこだったんだって思うようになって、保存会のみんなも勉強するようになった。
それが進んで、学校に教えにいったりとか、そこで学んだ先輩たちが次の代に教えるっていうのが自然にできるようになっていって。で、そこから生まれてきたのが俺らの世代。舞川鹿子躍はまぁまぁ有名ってことも本見て知ってたので、それをなんとか活かせないかって思ったのが小岩秀太郎なわけ。その頃にはもう、神社とかお寺で奉納の踊りをするっていうような、昔からの慣習は廃れつつあったんだけど、そういうものも見つめ直しながら鹿踊のことをなんとか伝えていきたいって思うようになったんだよね。

ー鹿踊の郷土芸能としての本質的な部分に立ち返って、もともとの在り方を伝えていきたいと考えるようになったんですね。

小岩:最初は本質性なんて全然興味なかったんだけどね。だけど勉強するようになって、他にも太鼓踊り系の団体さんいっぱいいるわけだから、それ見に行くでしょ。あっちはちゃんとやってるのにこっちはできてないっていうのは悔しいから、せっかく書き付けもあるし、ちょっとずつ復活させていこうって思ってる。

芸能の本来在るべき姿を、考える場をつくりたい

ー前回に引き続き、舞川鹿子躍について詳しくお聞かせ頂きましたが、これを読んで実際に見てみたいと思った方も多いと思います。4月にも岩手で奉納があると伺いました。それについてお聞かせ頂けますか。

小岩:地元に菅原神社というのがあって、4年祭(4年に1回の例大祭)を行うんだけど、そこでやります。でもここに舞川鹿子躍が奉納するのは多分何十年ぶりだと思うのね。
年寄りたちがずっと鹿子躍というものを保存会として守ってきたわけだけど、重い装束つけて神社まで歩いていくのは大変なことだったんだよ。おれ、中学校時代にその奉納に一回だけ出たことがある。鹿子躍は神輿の前で先導して、2〜3km一緒に歩くんだけど、すごいつらかった覚えがあるのね。でも、(それを復活させて)色んなことをもう一度学びたい、学んでもらいたいって言う思いがあって。
舞川鹿子躍の若いメンバーたちに、外に出るだけが、つまりパフォーマンスをするだけが芸能だけじゃないんだよっていうことを分かってもらいたい。そのパフォーマンスをどのように地元に還していくのかとか、どういう場でやるのが一番かっこいいんだろうかとか。鹿子躍という芸能がどういう在り方でいるのが一番しっくりくるのかっていうことを知ってもらいたいから、神社では必ずやりたいって言ってたのね。

それで、若者も増えたし歩いてくれるということになって。4月26日(日)に神社にいって「褒め歌」という歌を歌います。踊りをするかは分からない。ていうのも、多分みんなは踊りを見たいと思うの。そりゃパフォーマンスだから。だけれども、鹿踊が舞川という地区で、本来誰に対してやってきたものなのか考えるのであれば、まず神社に対して元々大事にしていた歌をやるべきだと思ったの。神社にある石段、灯籠、鳥居とかっていうものそれぞれに対して歌で褒めて思いを込めるっていうもので、数は百何種もあるんだよね。当日はそのうちの何種類かをやります。

「庭褒め」の褒め歌を歌っている様子。本来はこれに鹿頭やささら、太鼓をつけ、8人で行う。(2014年撮影)

「庭褒め」の褒め歌を歌っている様子。本来はこれに鹿頭やささら、太鼓をつけ、8人で行う。(2014年撮影)

それに合わせて東京鹿踊(※3)っていう、あえて地元から離れて東京で鹿踊をやってる人間たちも一緒にいって、ふるさとになるかもしれないその地域というものを一緒に感じてもらって、一緒にその場で頭を下げて考えましょうっていう会にしたいと思ってる。岩手で踊ってる人間と東京で踊ってる人間が一緒に踊れたり交流できればいいなとも思うしね。
もしこの記事を見て、そういう場を見てみたいと思うのであれば、来てみたらいい。面白いものかは分からないけれども、民俗芸能っていうものがこうなんだっていうことを感じてもらえる場にはなれるんじゃないかと思う。

(※3)東京鹿踊:小岩さんが結成した、東京を拠点とした鹿踊の団体。舞川出身者を中心に、東京出身のメンバーも。芸能を通して、その背景に広がる土地の風土や暮らしを探るプロジェクトを多数行っている。
WEBサイト http://to-shika.tumblr.com/

菅原神社へのアクセス

菅原神社例大祭
2015年4月26日(日)
〒021-0221 岩手県一関市舞川字原沢90

次回は、このインタビューの大テーマである「いま、郷土芸能を伝えるということ」について。震災を機に芸能に対する考え方が大きく変わったという小岩さん。その経緯や、今後の活動についてお話頂きます。
第4回:いま、郷土芸能を伝えるということ

You Might Also Like

1 Comment

Leave a Reply