「アジアをリズムで解きほぐす~国境・ジャンル・そしてコロナ禍を乗り越える祭りと芸能者たち~」と題して、祭礼や稽古の中止が余儀なくされたコロナ禍において、芸能が息づく各地ではどのような影響が生まれているのか。かねてより親交のあった「青ヶ島『還住太鼓』(東京都)」を訪ね、現地から「八戸市『八戸えんぶり』(青森県)」や「韓国農楽」の芸能者たちとオンラインで繋ぎ、対話と実演を行う交流企画を韓国太鼓チェ・ジェチョルさんが立案。仔鹿ネットもそれに同行しその過程や現地の様子を執筆協力させていただくことになりました。本特集は、『還住太鼓』×『八戸えんぶり』×『韓国農楽』の日韓オンライン交流会についての日英言語による密着記事となっております。英語版はこちら For English
※感染症予防対策について
来島に当たって、以下島が定めるルールに則り島内活動を行うことを前提条件に、事前の細やかな打ち合わせを重ねることで今回の企画が実現しました。
島内ルール:一般的な感染症予防策に加えて来島後3日間の自主待機及び活動制限、交流イベントの屋外開催
快く迎えてくださった荒井家初め、島民の皆様に心から感謝申し上げます。
オンライン交流会企画主旨について
今回の企画は昨年2019年12月の青ヶ島の還住太鼓と韓国農楽との伝統芸能を通じた国際文化交流プログラム(韓国太鼓チェ・ジェチョルWEBサイトを参照)に端を発します。以後活動の幅を広げながら継続的な交流が行われてきましたが、この情勢下において様々な企画中止が余儀なくされました。
2020年8月16日、今年4年目となる青ヶ島還住太鼓の伝承活動「みんなで叩こう12時間!還住太鼓フェスティバル」も開催が危ぶまれましたが、活動を担う代表の荒井智史(あらいさとし)さんの声を受け、その様子をどうしても見届け記録に残したいという想いで、徹底した感染防止策の上、チェさんと共に来島を決意。
加えて、チェさんと共に2015年から毎年足を運び交流を続けている青森県八戸市「八太郎えんぶり組」の皆さんはじめ、韓国農楽のイム・スンファンさんや国立民族学博物館研究員の神野知恵さんと現場の様子をオンラインで繋げることで、コロナ禍におけるそれぞれの葛藤を共有しつつ、相互の芸能に触れる機会を設けるという、12時間太鼓×日韓芸能交流会の二段構えの企画が今回の主旨となります。
12時間太鼓開始!
12時間太鼓は智史さんの緩やかな「頑張りましょう〜」という和やかな声と共に、朝9時に始まりました。参加者は小学生〜中学生の計7名の子供たち。
開催日は真夏の炎天下。こんなに好天に恵まれることも稀なようで、「今までで一番過酷かもしれない」と苦笑する智史さん。青ヶ島の居住エリアから車で15分ほど離れた、青々とした山と木々に囲まれる荒井家の離れ・通称『さんたやり』がメイン会場です。
かつて鬼ヶ島と呼ばれた青ヶ島
東京都にある伊豆諸島の9つの有人島のうち最も南に位置する人口約160名の青ヶ島。日本一小さな村(日本で最も人口の少ない自治体)であり、同じ東京都といえど都心からは太平洋を渡って約350キロ離れた場所に位置しています。島の大きな特徴のひとつはその地形。島そのものが活火山の火口で二重式カルデラを形成しており、外周がそのまま外輪山となっているため断崖絶壁に囲まれた特徴的な地形を成しています。そのため船が着岸するのも困難。八丈島から定期船が就航しているものの、天候不順や波が高い日にはただちに欠航となってしまいます。
『還住』への想い
『還住』という言葉はまさにその島の成り立ちと青ヶ島が歩んできた歴史そのもの。1780年代に起きた火山の大噴火によってそれまでの豊かな自然や耕作地を失い、居住地を追われ、全ての島民が八丈島へ逃げ延びざるを得ない状況になってしまった壮絶な背景があります。命からがらたどり着いた八丈島で避難生活を続けながらも、遠い故郷を想い、八丈島と青ヶ島を隔てる黒潮の荒波に幾たびも多くの犠牲を払いながら約50年かけて島への「還住」を成就させた人々。そのほとんどが大噴火を経験した島人達の子供の世代だったと言います。
『還住太鼓』は、大噴火よりずっと古くから行われていた島唄や島踊り、そして民間信仰の中で行われてきた神事儀式の合間に余興で親しまれてきた太鼓遊びを元に、祖先の還住への想いを語る郷土芸能として今から約40年前に発足されました。
先祖の太鼓を想う
このような背景も含め、還住太鼓の継承に尽力している智史さん。12時間太鼓を始めたきっかけを伺います。
「舞台用に3分や5分で演奏することもありますが、もともとは遊び叩いて楽しいうちに朝になっていた、みたいな世界でした。12時間太鼓は今年で4回目ですが、昔の人たちのそんな遊び方を子供たちに経験させてみたいんですよね。こんな小さな島でもやっぱり現代的な生活をしているので、そういう時間感覚で太鼓を叩くということもなくて。だからあえて12時間叩くということを決めて、『自分たちの太鼓を楽しみ直す』。イベントを通してそういう感覚を養えたら。」
長時間叩くことで見えてくる世界は違うのでしょうか。
「そうですね。即興性、間の取り方だったりユーモアが問われる。12時間もまとまった時間があると、否が応でもにでも工夫しないと過ごせないですよね。舞台だったら決めたことをやってかっこよく見せて終わりってできるけど。太鼓の楽しみ方にいろんな方法がある、いろんな感覚があるよ、というところを見つけられればいいのかなと思っています。」
話し言葉としての太鼓
『還住太鼓』は2人の打ち手が両面から1つの太鼓を叩いて即興的にメロディーを紡いでいきます。
「笛やら鉦やら宮太鼓があって、みたいなアンサンブルとして形態ができているものではないんですよね。同じリズムを叩いて支えているのが下打(したう)ち、それに対して自由なリズムを即興的に遊ぶのが上打(うわう)ちというのですけど、その上打ちがメロディー楽器であり、踊り手にもなる。上打ちそれぞれの思いの丈を即興で奏でていく。それをみんなが見て楽しみながら、代わる代わる交代していく。常に一人にスポットが当たって、繋がっていくという感じですね。」と智史さん。
まるで入れ替わり立ち替わり、太鼓の音でずっと会話し続けてるように見えます。
「楽しくやれば時空が歪む、そういう芸能本来が持っているスペシャルな体験をみんなそれぞれしてきているから、え〜〜12時間!?という反応はありつつもやってやるぞ、という感覚を持っているんですよ。」
ひとしきり叩き終えた中学2年生のもみじさんに聞きます。
「(長時間叩く中で)うまい人は自分でレパートリー作れるけど、自分はなかなか難しくて。
でもチェさんみたいな(自分たちの文脈にないルーツの太鼓叩きが)叩いてる未知の太鼓に合わせてやるのはすごく面白い。」
高校生の男の子からはこんな話も。「叩き方で結構性格分かったりするんです。この人は相手に寄り添って合わせるタイプだなとか、あの人はいろいろ遊んで攻めるタイプだなとか。それぞれ全然違いますね。」
叩き方によっては同じ人でも違う聞こえ方が場合もあるようで、それは本当にその人の内から出るオリジナルの「はなしことば」だなと感じます。
同じ知ってる同士だけど、太鼓を通して相手を知る、出逢い直せるというのは楽器に触れていない自分からは羨ましい。言葉の選択肢が少ない子供の頃なら尚更。
言葉で伝えられない想いや自分でも気づいていない感情みたいなものを、音に乗せる。確かにそういう感覚を養うには、ときおり無意識で叩いてしまうくらいの時間が必要なのかもしれません。