Interview

小岩秀太郎(全日本郷土芸能協会):
第1回「『お祭り』と『芸能』は違う?」

2015年4月18日

民俗芸能って何だろう?そこから見えてくるものは一体何なのか?
実際に民俗芸能に関わる方々にインタビューすることで、様々な角度から掘り下げていきます。
Vol.1ゲストは公益社団法人全日本郷土芸能協会職員の小岩秀太郎さん。岩手県一関市舞川地区出身で、地元の芸能である行山流舞川鹿子躍の伝承者でもあります。東京を拠点に芸能のネットワーク作りを行うと同時に、「東京鹿踊」を結成し、芸能の本質的な在り方を伝える活動を精力的に行っています。
そんな小岩さんへのインタビューテーマは、「いま、民俗芸能を伝えるということ」。
芸能そのものの在り方や魅力について、小岩さんご自身の経歴に触れつつ、かみ砕いてお話頂きました。
(聞き手・高橋亜弓 撮影・田中有希)

郷土芸能を調査し、芸能団体間のネットワークを育む仕事

ーまずは全日本郷土芸能協会(以下:全郷芸)でのお仕事について教えて下さい。

小岩秀太郎さん(以下「小岩」):芸能のイベントの企画制作をしたり、調査をしたりすることが多いね。調査では現地で芸能団体のヒアリングをして、撮影した写真や動画を合わせて報告書を書く。あとはそれぞれがどんな道具を使っていて、どんな暮らしと密着した芸能なのか等、基礎情報を集めている。

ー全国の芸能のアーカイブを作っているということですか?

小岩:アーカイブみたいな大きい情報として、どこかに活用してもらうまではいってない。全郷芸っていうのは、芸能を発信していくよりも、芸能をやっている人たちの間でネットワーク作りをしましょうというところから始まった団体だから(※1)。彼らが困ってる事や要望をこちらの事務局で引き出した上で、みなさん何か知りませんか?こういうものありませんか?って他の団体さんに聞いてみたり。うちの獅子舞とあっちの獅子舞が似てるっぽいんだけどどうなんだろうか?っていうような質問に答えることもしてる。
あとはうちは会員組織なので、協会にはいっている会員さんたちがどこどこと繫がりたい、他の団体さんを呼びたいっていう時に、お話を持っていってあげたり。それがイベントに繋がることもあるね。

(※1)全郷芸は1973年に大阪万博を機に創立した団体。自国の土地を見つめ直し、日本の誇りを取り戻そうとする動きが盛んに行われた戦後、国内外で誇りをもって発信出来るものとして郷土芸能が脚光を浴びていた。そのため芸能団体の国内外への招聘活動が活発となり、全郷芸はその際のコーディネーターとして大きく機能する。以後、今日に至るまで芸能を通した全国的・国際的なネットワーク形成及び、文化事業やセミナー、イベントの企画・制作を行っている。公式サイト:http://www.jfpaa.jp/

インタビューは全郷芸のオフィスにて。様々な資料と共に、お話を伺いました。

インタビューは全郷芸のオフィスにて。様々な資料と共に、お話を伺いました。

ー調査の依頼は主にどこからくるのでしょうか。

小岩:教育委員会や文化庁だとかが多いかな。文化財として保護・保存してかなきゃいけないものだから、ちゃんと今調べとかないと無くなっちゃいますよねっていう前提で。

「お祭り」や「芸能」ってそもそもなんだろう?

ーいわゆる郷土芸能とか民俗芸能って一般的にはあまり耳なじみがないと思うんですね。お祭りって言えば一番ポピュラーな言葉として耳に入るかもしれない。でもそこから連想するのは縁日だったり、盆踊り、御神輿、もしかしたら花火大会とかも…(笑)。そういうにぎやかで楽しいもの。それらと、郷土芸能や民俗芸能との考え方はどう違うのでしょうか。

小岩:お祭り自体は生活の中でお祈りとかお願いをしたことがそもそもの始まりだと思うんだけど、一般的にはもう単なるバカ騒ぎ的なものに捉えられているところがあるよね。
そういう意味での祭りっていう捉え方もあるけど、その中に出てくる変な形とか格好をしているものとか、あるいは神主さんやお坊さんみたいな人たちが、普段そのままの人間の格好だとカミサマに通用しないかもしれないからって、色んなものを装飾したものが芸能になったりする。
だからお祭りっていう、何かを願う場やそれを見れる場に出てくるものが芸能であるということ。
で、「芸能」っていうくらいだから、何かのワザをもってるわけ。歌ったり、踊ったり、語ったりだとかをワザとして行っているのが芸能って言われているもの。

長野県飯田市南信濃木沢地区 霜月まつり(2013年に撮影したもの)

長野県飯田市南信濃木沢地区 霜月まつり(2013年撮影)

小岩:「民俗芸能」「郷土芸能」って言われているものとしては、「民俗」っていうのはニンベンの「俗」だよね。だから人間がはざまにあるものとして、人々が暮らしている中にある芸能。
だから、そうでなかったら別に民俗芸能とは呼ばなくていいと思うんだよね。例えば山の中に住んでいて、どうしても光が当たらなくて暗い世界だから、もう少し明るくして欲しいっていう願いを、歌ったり踊ったりして何とか伝えたいって思いがあったり。あとは誰かが死んでしまった時。悲しくてどうしようもない、もどかしい気持ちを何で表現しようかって時に、(バンと机を叩く)って地面を踏んだりすることで何かが変わるかもしれないとか。あるいはこういう悪いことを起こしているのは悪魔が原因かもしれないって昔の人たちは考えたと思うので、それを起こすキッカケとなるようなものをやっつけたいっていう思いがあった。だから何かの力を逆に借りてーーつまり神様を体に入れたりだとか、入れ墨を入れたりだとかっていうような形でーー表現していく。それが芸能になっていったんじゃないかなって思う。

ー生きていくことへの切実な想いが形になったものが芸能なんですね。

小岩:うん。あとはやっぱり、基本的には同じ集落で住み続けてたわけなんで、その中でだけの娯楽っていうことは当然考えられるよね。どこの村にも面白可笑しい人たちがいただろうから、その人たちがずっと暗い生活をしていたわけはないわな。
あいつに歌を歌わしたらすごいんだとか。それぞれの取り柄を持ち出して、それぞれの表現をするっていうことが芸能に繋がったっていうことも考えられる。

ー「ハレの日」っていう感覚もありますよね。ずっと農業や生業が大変で、でも一年のこの日だけはお酒をいくらでも飲んでいいし、歌って踊って楽しむことが出来る日。そういう存在というもの。

小岩:祭りは結局、自分たちの村を守るために、人々がどっかに集まってくるっていうような世界をつくりだそうとしているんだよね。みんなが集まったら食ったり飲んだりするわけでしょ。だから最初にいったみたいな、バカ騒ぎ的なものとか、全然知らない人たちが集まってくるようなものって、果たしてお祭りなのかなって思うんだよね。

あとは成長の場という側面もある。先輩たちも来るし、いつもは顔を見ないじいさんばあさんも来るし。村の人たちが全員集まってくる訳だから。そこに顔を出さないって言うのは後でどんだけ村八分にされるか分からないっていう、恐ろしい場にもなるわけだよね。そこに出るには、自分は大人として何をしなくちゃいけないかって考えさせられる場にもなる。もちろん、男女の出会いの場にもなるわけだしね。だから本来的にはそれぞれの生活が集まってその祭りを作っていったっていうことが考えられる。

ー地域のお祭りにいくと、例えば門付(かどづけ)ってありますよね。芸能団体が集落や町のなかの一軒一軒を訪ねてまわる。そのなかでみていくと、どこどこのおばあちゃんは元気かとか、そこに住んでる人たちの暮らしがどういう風にまわってるのか、情報交換するコミュニケーションの場でもあるなって思います。

小岩:うんうん。そうだね。昔はどこでもね、みんな歩いてたわけだし車なんかなかったわけだから、どこに誰が住んでるかなんて余裕で分かってたんだよね。そういうのは今の世界には全然なくなって、村でさえもあそこの坊ちゃん何やってるんだとかさえも言わない時代になってきてるからね。それが芸能だとかお祭りの日になってくると、どうしても出てこなきゃ行けないってことになるわけで。そっからの情報をみんなで話し合ったりするハレの場になるっていうのがあるよね。

岩手県花巻市八重畑地区 春日流八幡鹿踊による門付の様子

岩手県花巻市石鳥谷町八重畑地区 春日流八幡鹿踊による門付の様子。装束を身につけた芸能団体が、田園風景の中を歩いて地区を巡る。軽トラに祭具を乗せて進む姿も面白い。(2013年撮影)

小岩:それに、昔なんかは今みたいな靴もなかったわけで。わらじとか一人で考えても作れないわけだから、そういう場にいって、みんなでつくる会を設けましょうとか、習いに行きましょうとか。そういう、公民館みたいな活動の場にもなってたんだと思う。
でも面白いことで、一年に一回でもそういうことやると、例えばしめ縄を作りますって。一年に一回しかやってなくてもそれで覚えちゃうんだよね、なぜか。前の年に教えてくれたおじいさんが死んじゃった。一回しか教わってなかったのに。ってなったとしても、覚えてるんだよね。一回だけで。やったことを。それは芸能も同じで、ずっと練習してるからって覚えるかっていうとそうじゃなくて。お祭りで一回しかやれないものってのもある。そういうのって、すごい覚えてるんだよね。

ーえ、ぶっつけ本番ってことですか?

小岩:そう。ぶっつけ。ぶっつけ。読み当てといって、前の日にちょっとベロベロになりながらもやってみろって言われてやらせられて、次の日本番って感じのやつがある。それ、すっごい覚えてるんだよね。そういう意味で、人間の能力って捨てたもんじゃないなと思って。で、それを実感できる場にもなるのが面白い。俺、セリフとか覚えるのが苦手なんだけれど、そういう場になると覚える。でも今から一生懸命三日間くらいかけて覚えろって言われたら絶対覚えられない。即興的なプレッシャーをかけられるとね。多分研ぎ澄まされるものがあるんじゃないの。そういうのが面白いよね。

次回、小岩さんご自身も踊り手である「鹿踊」とは何か?お話をお聞かせ頂きます。
第2回:シシ踊りとは何か?

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