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2015年

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胡録神社の獅子舞|2015年10月25日

2015年10月25日

千葉県松戸市大橋・胡録神社の獅子舞へ。
関東を中心に広く分布し、一人立ち三人一組からなる「三匹獅子舞」のかたちをとるもので、松戸市では現在、和名ヶ谷・上本郷・そして今回訪れた大橋の3地区で伝えられているそうです。
大橋の獅子舞は毎年10月最終土日曜日の19時半から五穀豊穣を祝って行われますが、こちらが特徴的は道化役の猿が安産・良縁のまじないとして活躍する点。こちらの獅子舞はとてもゆったりとした動作で優雅に舞う一方、終始猿がその回りをくるくると歩き回り、妊婦さんや赤ん坊を優しく抱きしめたり撫でたり、悪戯好きの子供たちとちょっかいをかけあったりして忙しなく立ち回ります。その際、おひねりをもらうごとにみかんを手渡していたのにほっこりしました。
保存会の方曰く「短い唄」、そして休憩を挟んで「長い唄」という2部構成で舞が行われるのですが、唄の始めと終わりで必ず猿が先導し、赤いびんざさらとともに音頭を取ることから、この祭礼にとってかなり重要な役回りなのが分かります。
また、笛と唄に合わせて男根に見立てたしっぽをこすり合わせる所作をかなり象徴的に繰り返しているのがとても印象的でした。
他地域と比べ、見物人に地元の女性や子供たちの割合がかなり多かったので、やはりこちらの獅子舞は土地の方々にとって、特に子孫繁栄を願う意味合いが強いのでしょう。
それを示すかのように、獅子舞奉納後は獅子頭を子供たちにかぶせていました。子どもの健やかな成長を祈願するのだそうです。
さてその獅子頭ですが、こちらはそれぞれを前獅子(捻れ角)、中獅子(女獅子)、後獅子(直線的な角)と呼ぶのだそうで、シャモの毛の明るい部分を頭頂に、黒く長い部分を後頭部に流れるように配しています。また男獅子には白く長い鼻ひげが施されているのも特徴的でした。しかしなんといっても面白いのがその顔!目玉も鼻の穴も大きく真ん丸で、かなりパンチがあります…!!!
こんな獅子が夜の闇の中で踊ってるのですからなかなかに怖いはずなのですが、子供たちの視線は猿に集中しているので終始なごやかムード…。
また、さらに子供たちが喜ぶようなイベント(?)が。
ゴザがひかれた舞台での舞が終わり、猿を先頭に獅子が拝殿に戻って神前で短い舞を行われると、最後に菓子投げがはじまりそこに子供たちがビニール袋を手に殺到。なんでみんな手に空袋を持っているのだろうと思っていたら、そういう事だったんですね。
見物人に子供の姿をあまり見ない事が多いので、高いきゃあきゃあ声の中で見る獅子舞になんだか新鮮さを感じました。
風が強く、とても寒い日ではありましたが、笑い声が絶えない境内で心温まる時間を過ごさせて頂きました。

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民俗芸能のつどい〜仙台ゆかりの鹿踊〜③

2015年10月11日

「民俗芸能のつどい〜仙台ゆかりの鹿踊〜」出演団体、続いては裏町一丁目八ツ鹿踊り(愛媛県宇和島市)。
こちらは以前記事でも紹介しましたように、伊達政宗の長男・秀宗が宇和島入城の際、故郷・仙台の芸能を宇和島に伝えたことで、以後400年の間伝承されているという鹿踊です。
東日本にしか見られない鹿踊が海を越えた愛媛・宇和島の地で大切に育まれ、現在ではなんと100を超える地区で伝わっているとのこと。
しかし東北の鹿踊を想像して八ツ鹿の姿を見たら驚くこと必至。
カッと目を見開き歯をくいしばる頭に、地を力強く踏みしめながら踊る勇壮な東北の鹿踊とは大きく異なり、こちらの鹿踊は張子で出来た愛らしい鹿頭に、優雅でゆったりとした踊りが特徴です。
伝えられてから400年の間に、宇和島の文化圏の中でゆっくりと変化していったんですね。
郷土芸能・民俗芸能というものが、いかにその土地の風土や文化、人々の気質によって変容し、育まれていくものなのかが分かる、大きな事例と言えます。
幕に隠れて見えづらいですが、胸には羯鼓と呼ばれる小さな太鼓を締め、それを打ち鳴らし、歌いながら踊ります。
特徴的なのはその歌声。踊り手は小学4〜6年生の、変声前の男児たちと昔から決まりがあるようで、高く伸びやかな歌声が大変美しい。
また演目は、東北のそれと共通する「めじしかくし」というもので、雄鹿が屋敷の庭に隠された雌鹿をすすきの陰に見つけ、喜び合うというもの。歌詞も非常に類似点が多い。
しかし雄が雌を激しく取り合う形をとることが多い東北のそれと比べると、やはり優しく温和な雰囲気が漂います。
こちらは宇和島市内の宇和津彦神社の例祭で毎年10月29日に奉納されるもので、実はこの後、例祭に合わせて宇和島へ向かいました。
実際に宇和島の風土を感じながら見る八ツ鹿の様子を、後日レポートいたしますね。

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民俗芸能のつどい〜仙台ゆかりの鹿踊〜②

2015年10月11日

仙台で開催された「民俗芸能のつどい〜仙台ゆかりの鹿踊〜」に出演された、仙台発祥の鹿踊3団体について、それぞれ動画を元に紹介していきます。
(内容は、当日解説者として登壇された全日本郷土芸能協会の小岩秀太郎氏の解説を元にしております。)
まずは川前の鹿踊(宮城県仙台市青葉区芋沢の川前地区)。
仙台城址が位置する青葉区に伝承されていて、「鹿苑」と書かれた前立てと四ツ又の角を頭につけた中立(なかだち・リーダー的存在)一頭、雌鹿(角がない)一頭、「金の山」の立てものをつけた牡鹿七頭で構成された、九頭立ての鹿踊です。(今回はは出演者の都合で七頭のみの出演。)
これは仙台で発祥した構成で、旧仙台藩領に数多く伝わる鹿踊(腰に締めた太鼓を打ち鳴らしながら踊るのが特徴のため「太鼓踊り系鹿踊」とも)の基本構成となっており、他にも八頭立て、十二頭立てといった団体があるのだそう。
川前の鹿踊は鹿踊のルーツと言われている八幡堂(現在の青葉区八幡町の大崎八幡宮、龍宝寺周辺)で伊達家によって抱えられていた仙台鹿踊のうちのひとつで、当時より仙台城下の鹿踊として名を馳せてきた団体とのこと。
九曜紋が装束に配されていることからも、伊達家の寵愛を受けていたことが分かります。
さて拝見した印象はというと、飛んだり跳ねたり、大きく身体を揺すったりといった、ひょうきんな動きがとてもユニークでした。とはいえ、ヘビメタのごとく頭を思い切り振ってるのでかなりシンドイはず。
頭には鹿の角とヒラヒラした鳥の羽、目の周りにはモコモコした熊の毛皮。
モコモコ、ヒラヒラ、クネクネ、ブンブン。
軽やかな笛の音色や口が開閉することによるパクパクという音、背中のささらに取り付けられた鈴の音が少年たち(最年少はなんと6歳!)のあどけない所作に合わさり、可愛らしい印象を受けました。が、踊り手の子達は相当大変なことと思います…。
かつては青年たちによって踊られていたというので、今ともまた違う雰囲気だったことでしょう。
動画ではササが立ててありますが、鹿踊は新仏の供養にも踊られてきた芸能。盆の始まりは七夕ということで、鹿踊も七夕の時期から9月にかけて踊るものだったそうです。大きな前垂れも、仏教で用いられる五行色からきているとのこと。

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民俗芸能のつどい〜仙台ゆかりの鹿踊〜①

2015年10月11日

仙台発祥後、それぞれ独自の文化圏で育まれた鹿踊り(ししおどり)3団体が、400年越しに仙台城址に集結!
本日は仙台城址内の仙台市博物館にて、発祥のルーツを同じ仙台とする川前の鹿踊(宮城県仙台市)、金津流石関獅子躍(岩手県奥州市)、そして裏町一丁目八ツ鹿踊り(愛媛県宇和島市)の3団体が一同に会す企画が仙台市・宇和島市歴史姉妹都市締結40周年を記念して行われました。
仙台発祥の芸能が遠く離れた愛媛の地に?
また芸能に詳しい方は、東北にしか存在しないはずの鹿踊りが愛媛に?と思う方もいるかもしれません。
実は鹿踊りは仙台藩の篤い庇護のもと、大切にされてきた郷土芸能。約400年前、仙台藩主・伊達政宗の長男秀宗が伊予宇和島(愛媛県)に10万石を与えられ、入城した際に、故郷仙台を思ってか鹿踊りを共に伝えたとされています。400年の時を越えて里帰りを果たすという、非常に貴重な瞬間に立ち会うことが出来ました。
太鼓を胸や腰につけ、シシ頭を頭にかぶって踊る姿は共通するものの、それぞれ見た目は大きく異なります。もとの鹿踊りは裏町一丁目八ツ鹿踊りの胸につけた鞨鼓のように、小さい太鼓だったそうです。
それが仙台から離れ、時をかけ、土地それぞれの文化圏で育まれながら伝わっていくうちに現在のような進化を遂げたということなんですね。
郷土芸能がいかに土地に根ざしたものであるか、それを顕著に伝える大きな例といえます。
しかし一聴ではわからなかったものの、イントネーションは違えど各団体が部分的に同じ唄を歌っているということに気がついたときには、胸がぎゅっと熱くなるのを感じました。まるで400年前の唄声を聴いたかのようで。
それぞれの詳しい違いは写真だけでは伝わらないと思うので、動画を交えて後ほどアップいたしますね。
また、13時半から始まったこのイベントの前に、伝書や口伝によって鹿踊のルーツとされる八幡堂(青葉区八幡町の大崎八幡宮、龍宝寺周辺)を訪問。
ここから数々の鹿踊りが生まれていったのだと思うと、フツフツと興奮が湧き上がりました。

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谷保天満宮例祭宵宮|2015年9月26日

2015年9月26日

谷保天満宮宵宮での古式獅子舞の様子。
こちらの芸能は平安時代から伝わるといわれ、一人立ち三人一組の三匹獅子舞(関東圏に広く分布)のかたちをとっています。獅子頭はいわゆる唐獅子というより、顔がのっぺりと長く鼻が突き出ており、日本古来の造形に感じました。
宵宮ではまず、宵宮参りという、提灯を手にした各町内衆たちが参道から本殿まで進み、本殿の周りを3回周るお宮参りが行われ、古式獅子舞はその後に神楽殿前に設えた土俵の前で行われます。
行われるのは「女獅子隠し」というもの(三匹獅子だけでなく関東以北に多く伝わる一人立ち系のシシ踊りに共通する演目です)。
2匹の雄獅子が1匹の雌獅子を取り合うというもので、ここでは1時間近くかけて舞われました。
こちらが特徴的なのは、そこに天狗や道化が混ざり合い、茶化し率いながら踊りが進行されるという点。
天狗に至っては最初から最後まで掛け声を掛けながら全体を率いていきます。
笛や唄、法螺貝、そして獅子たち自身が叩く太鼓も、すべて天狗の掛け声を軸に展開していました。
また、手には団扇と男根を模した(?未確認です。)ように見える木の棒をもち、それらを擦り合わせて音を出し、音頭を取ります。
舞は30代くらいの、体格が立派な方々が担当されていて、獅子に至っては2m以上あるのではというくらい大きく、闇夜の中で怪しく畏しげで非常に迫力がありました。
翌日27日は正午から万灯行列が谷保駅→天満宮間で行われ、その後15時より古式獅子舞が同様に土俵で行われます。

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東大寺二月堂十七夜の盆踊り|2015年9月17日

2015年9月17日

奈良県「東大寺二月堂十七夜の盆踊り」へ行ってきました。
関西全域で二月さんと親しまれている二月堂信者による盆踊りで、関西各地から講社連中、同好会(中には東大寺に勤める若者による団体も)が集まり、関西の盆踊り納めとしてかつてより盛り上がりをみせてきた行事です。
関西を代表する河内音頭(鉄砲節)や江州音頭、泉州音頭を軸に、現代風にアレンジされた複数の音頭取りによって18時から21時過ぎまで、毎年9月17日に行われます。
基本の型はあれど振り付けは団体によって様々にアレンジされていて、中でも中高年のオジサマ方がひときわ目を引きます。キレッキレだったりたおやかだったり持ち味は異なれど、エネルギー全開、全身全霊で踊りを楽しむ姿には何か胸を打つものがありました。天気がぐずつく中、肌にぺっしゃりと吸い付く着物は雨のせいか汗のせいか。
河内音頭中組の方にお話を伺ったところ、40〜50年ほど前は現在のような櫓(やぐら)はなく、音も踊りの中心に備えていた太鼓台と伴奏なしの生音頭取りのみだったそうで、それでも当時はより活気があり、一晩中踊り続けたのだとか。
女性は長襦袢にほっかむり姿だったというから、さぞかし艶っぽかったことでしょう。
大阪発祥の河内音頭、かつては地区のあちこちでその音が聞こえていたそうですが、その数も大幅に少なくなり、年齢や性別問わず自由に自分の踊りを楽しめる貴重な場として、二月さんの十七夜は大事にされているのだそうです。

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長瀞猪子舞稽古見学|2015年8月9日

2015年8月9日

2013年山寺磐司祭、2014年日枝神社例大祭と毎年拝見させていただいている長瀞猪子踊り、今年も山寺磐司祭前に行われる練習の見学をさせて頂きました。
本番はもちろんだけれど、練習を拝見すると踊りの上で大切にしているポイントや、普段の踊り手同士のやり取りが見えてきてとても興味深いし、郷土芸能としての魅力をより強く感じます。

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徳丸の田遊び|2015年2月13日

2015年2月13日

徳丸北野神社の田遊びの様子。
今年で1020回目の奉納だそうですが、それはつまり1020年前の人々と同じものを共有しているかもしれないということ。見ている間はここが東京であるということを忘れてしまっていました。
田んぼなどない完全な住宅街の真ん中にある神社で、このような神事があるということ自体に驚きですが、かつてこの板橋徳丸地区は、非常に大きな穀倉地帯だったそうです。
毎年同じことを繰り返す芸能が内包しているものの重要さについて、改めて考えさせられることになりました。
神事では多く見られることですが、ここではすべての所作が「見立て」によって行われます。モガリ(舞台)の中央にすえた太鼓を田に見立て、その周りで稲作の各工程を見立てた神事が行われるのです。
例えば、苗に見立てた4人の子供を一人づつ順番に太鼓に乗せ、一同で持ち上げる「胴上げ」では、苗の成熟と子供の成長、子孫繁栄を祈願します。
(子供を抱える氏子のおじいさんたちが、ほんっとうに優しげな表情をしていて、なんだかそれだけでこちらも満たされる…。。)
他にも田を耕す牛や馬…?を模した簡易的な板の面がでてくるのですが、この絵付けもかなり独特で興味深い。(墨が随分きれいに残っているけれど、これは毎年作り変えているのかな?この、ヘタウマとだけでは到底言い表せない魅力はなんなんだろ…)
それを、氏子衆が笑い合いながら「おや、良い顔だなぁ」とか、子宝の象徴である、妊婦姿をした娘面(中身はおじいさん)には「今にも生まれそうなんじゃないか」などと冗談を投げたり。
芸能の良さは、神事そのものの興味深さだけでなく、その土地が育んできた土地の空気や在り方も同時に感じられるということなんだよなぁ、と、毎度のことながら感じたのでした。

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新野の雪まつり|2015年1月14日

2015年1月14日

国指定重要無形民俗文化財、長野県阿南町新野の雪まつりに来ています。雪そのものを稲穂の白い花に見立てて奉納し、五穀豊穣を祈る、非常に珍しいお祭り。
毎年1月14日(〜翌15日)に行われますが、一昨年に豪雪に見舞われ、来訪を断念した苦い経験を踏まえて今回は前乗りです。
とはいえ、13日には同地区にある諏訪社での例祭が行われます。
そこでは、翌日に行われる伊豆神社例祭に向け、役を決めるクジ引きや、身を清める「御滝入り」(実際に裸で滝打ちする)、ササラを打ち鳴らす舞等が行われますが、特に印象的なのは面に色を足す「面化粧」。「面化粧」は、必ずその年の色として胡粉、墨、砥の粉(朱)の三色を少しずつ足し、命を吹き込むというもの。
今まで面に手を加えるような場面をみたことがなかったのでかなり衝撃的でした。
明日の伊豆神社例祭に向け、今日はもう寝ます。