ご先祖様をお盆に迎える精霊迎えの習俗「六道詣り」が祇園からもほど近い六道珍皇寺にて10日まで行われております。「迎え鐘」をうって精霊を迎える行事で、京都の盆の始まりはこの「迎え鐘」で始まるのだとか。
日が暮れ、空が夕焼けで真っ赤に染まる中、あの世とこの世を繋ぐ梵鐘が鳴り響き、高野槙とお線香が香る境内は少し怖ろしくもあり、表現し難い美しさでありました。
4月8日に行った「仔鹿のまなざし 第2回八戸えんぶり(八太郎えんぶり組)編」ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!
花冷えなんてなんのその、満員御礼、溢れんばかりの熱気に包まれる会と相成りました。
第2回となる今回も年齢や職業ジャンルの層を超えた様々な方々にご参加いただき、八戸えんぶりや八太郎の皆さんへの関心の高さや魅力を改めて実感。
田んぼに水を引き入れるための「水口開け」から始まり、30組以上ものえんぶり組で奉納の順番を決める「順番まち」、「一斉摺り」や4日間連日朝から晩まで行われる「門つけ」といった八戸えんぶりの行程の様子。
そんな激動の日々の中で2歳から80歳までが所属する八太郎えんぶり組、そのひとりひとりが感じている苦悩や葛藤、喜びや楽しみを目の当たりにする中で感じたこと。
親方や太夫、舞子、笛・太鼓・鉦や旗持ち、彼らを支えるまかない班のお母さん方それぞれの活躍について。
2時間では到底語りつくせない感動を、少しずつお話しさせていただきました。(そして、勢い止まらずだいぶ時間オーバーしました)
また八戸えんぶりに焦点を置きつつ、八戸滞在に先駆けて訪ねた韓国・高敞(コチャン)での大満月祭(テボルムクッ)にも触れ、高敞と八戸それぞれから見えてくる農民・漁民の暮らしや、それを取り巻く風土について芸能を通して想いを馳せてみたり。
会の後半では韓国太鼓のチェ・ジェチョルさんや韓国農楽研究者の神野知恵さんの大活躍で、
「韓国農楽隊や八戸えんぶり組がもし書肆逆光に門つけにやって来たらどんなだろう?」
そんな妄想と夢に胸を膨らませながら、模擬的に門つけを行う試みに挑戦。
韓国農楽の楽器や篠笛を用いて農楽のエンメギ(厄払い)やセメクッ(水・運気がこんこんと湧くように祈る儀礼)、八太郎えんぶり組の大黒舞の歌詞を読み上げてみるなどして、書肆逆光の今後益々の繁栄をお祈りしました。
心から誰かを想って祝福する言葉には、何か暖かな風のような、香り立つエネルギーが宿って、それを笛や太鼓が大きく膨らませたり、遠くへ運んだりする。
そうして心健やかに新たな1年を迎え入れる。
韓国や八戸では、そんな現場を見てきました。
実際の楽器の音や、唄を肌で感じることによって、少しでも八丁堀の会場に祝祭の空気を、八戸や高敞の香りを、届けられていたら良いなと思います。
また、会のおもてなしに用意していた八仙「朳(えんぶり)」ラベルやピンクラベル、南部煎餅に加え、当日にサプライズで届いた「裏・陸奥男山」、そして「白浜女房の鮭とば」も合わさることに!
八戸のアートコーディネーター・今川和佳子さんの粋な計らいで届いたスペシャルプレゼント。会場一同、歓喜の声です。
今川和佳子さんは八戸の魅力溢れる文化に丁寧に寄り添いながら、それを紹介し、アーティストやダンサーとともに企画を立ち上げている女性で、私も大ファンの「陸奥男山」「陸奥八仙」を醸す八戸酒造でのイベント事業も担当されています。
八戸ではいつも一緒に酔っ払ってくれる大好きな尊敬するお姉さんです。
毎度たくさんの方々に助けてもらってやっと形になっている仔鹿のまなざし。
会場の鈴木さん、素晴らしい演奏をしてくれたジェチョルさんや知恵ちゃん、会場整備や受付を担当してくれた航平くん、瑞穂さん。美味しい八戸を送ってくれた今川さん。そして何よりいつも暖かく迎えてくださる八太郎のみなさん。韓国語をちっとも理解できないのに、手を引いて一緒に踊ってくれた高敞のみなさん。すべての方々に感謝してもしきれません。本当に本当に、ありがとうございます。
今後も、第三、第四回と続けていきたいと思っています。
地域の方々とのご縁を大切にしながら、ゆっくりと育んでいければ幸いです。
今年も、八太郎えんぶり組の皆さんに同行させていただいた様子を映像や写真を交えてお話しする「仔鹿のまなざし」を開催する運びとなりました。
会場も昨年に引き続き、魅力的な古書と古民具に溢れた書肆(しょし)逆光さんにて。
去年以上にえんぶり組の方々と密に接する中で感じたことを、現地のお酒やつまみを会場の皆さんと味わいつつ、等身大の言葉でお話できればと思います。
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仔鹿のまなざし 八戸えんぶり(八太郎えんぶり組)編-2-
日時:2017年4月8日(土) 18時〜20時(17時半開場)
主催:仔鹿ネット http://cojika.net/
場所:書肆逆光 (東京都中央区八丁堀2丁目3−3 2F)
会費:2000円(お酒とおつまみのおもてなし付き)
定員:15名
ご予約はこちらから↓
https://goo.gl/forms/iQkWcYIarJstCFNj1
その他お問い合わせ:仔鹿ネット info@cojika.net
概要:
民俗芸能を愛してやまない個人・高橋亜弓の目線で地域の芸能に触れた経験を語る「仔鹿のまなざし」。
第2回となる今回も、味わい深い骨董や古書に溢れた書肆逆光を会場に開催いたします。
テーマは昨年に引き続き「八戸えんぶり(八太郎えんぶり組)」について。
2月17日から4日間に渡る祭礼期間はもちろん、今年は生活館での練習や長者山新羅神社での順番待ちを含めた約1週間、八太郎えんぶり組の方々に同行させていただきました。
組の皆さんに出会った1年前と比べてぐっと成長した子供達の姿に驚きつつ、これまでよりずっと身近で感じることになった2歳〜80歳の演者それぞれの想いや裏方のお母さん方の毎日の熱いサポートに触れる中で、改めて八太郎えんぶり組、そして八戸えんぶりという芸能の魅力に胸を動かされる日々となりました。
今回もたっぷりと撮影してきた動画や写真を交えて、この宝物のような経験を八戸の美味しい地酒や肴とともに等身大の言葉でお話したいと思います。
【八戸えんぶりとは】
青森県八戸市に伝承されている郷土芸能(国指定重要無形民俗文化財)。
毎年2月17日から4日間、その年の豊穣・豊漁を祈願して行われる予祝行事で、長者山新羅神社での奉納後、30以上のえんぶり組が市内を門付けして回る。
馬の頭を象った烏帽子を被る「太夫」による、水口開けから収穫までの稲作の一連の動作を表現した祝詞や所作「摺り」を行うことで、田の神を冬の眠りから「動る(いぶる・ゆさぶり起こす)」意味があるとされている。
また、「摺り」の前後には恵比寿舞や大黒舞などの祝福芸が行われ、八戸地域の人々の無病息災・商売繁盛を祈願する。
年末から新年にかけてのこの数ヶ月は、自分のルーツを考える上で、とても大切な日々でした。
そのひとつが父方の祖母の実家地区の祭礼「幡祭り」に参列したこと。
父方の祖母の実家は、福島県二本松市木幡地区の塩沢堂社(集落)。
この地には国の無形民俗文化財として指定を受けた「木幡の幡祭り」が伝承されています。
五色の反物を縫い合わせて大きな五反幡とした幡を、木幡山山頂の隠津島神社本殿まで担ぎ運び、奉納するというもの。
木幡地区9堂社合わせて70本。五色の幡がまっすぐ天を向いてたなびく様は本当に美しい。かつては200本もの大群だったそうです。
出発地点の木幡小学校から隠津島神社本殿までは距離にして約3kmほど。しかし、かなりの急勾配と高さ9mはあろう五反幡を、山間の風を受けながら担ぎ上げるのはかなりの重労働。
かつては若者主体だったものの、高齢化と過疎化によって担ぎ手は60代以上の方がほとんど。
昨年に引き続きお世話になっている祖母の実家には、現在私の父の従兄弟にあたる光一おじさんが住んでいて、光一さんはことあるごとに「ここは限界集落だから」とつぶやいていました。「でも、しんどいからといって、一年でも休んでしまえば、二度とできなくなる」と。
この祭礼では、休憩と出発の合図に法螺笛(法螺貝のような音を発する、木製の縦笛)を用いる以外、楽器を用いません。
開けた田園地帯から山の中へ入ってしまえば、聞こえてくるのは「よいしょこらしょ」とか、他愛もない冗談や笑い声。そして土を踏む音。風に吹かれてサワサワと擦れる木々の音。鳥の鳴き声。たまに訪れる一瞬の静寂。
その中を、ゆっくりゆっくりと、休憩を挟みながらじっくりと登って行く。
時折木々の隙間から射す日光を、幡が受ける様がとても美しくて、穏やかで、涙が出そうになります。
この五反幡、かつては絹や紬など色とりどりの様々な反物を紡いで作られていたそうです。
亡くなった曽祖母の代までは養蚕も盛んで、自分たちの手で紡いだ織物を用いて神様に奉納していたといいます。
そして奉納後、幡を解いて反物を着物や下着に仕立てて、大切に身につけたのだそうです。
今は東京で近くに住んでいる祖母も、その時のことを懐かしそうに話してくれます。
この祭礼の起源については戦国時代の武将がどうのこうの〜といろいろ言われているけれども、一本一本の糸を時間をかけて大事大事に紡いで、それを氏神様に奉納していたおばあちゃんたちの気持ちの方が、なんだか私には身近に感じられるのです。
みんなで幡のずっしりとした重みと感じて歩きながら、この太陽の香りで溢れた暖かさと、日々を実直に生きるこの地の人々の尊さを噛み締める。これが祖先が代々受け継いできた「性」なのかななんて思ったりして。
祭礼の由来や成り立ちをもっともっと紐解いたり、よその部落に話を聞いたりすれば、もしかしたらまた違う印象を受けるのかもしれないけれども、「塩沢部落」という土地に私の祖先が生まれて、今もそこに血のつながりのある親戚が住んでいて、そしてその子孫である私がこの祭礼の「今」の姿を見て、そのように感じることを、今しっかりと胸に刻みたいなと思うのでした。
来年は、保管しているという機織り機を見せてもらえたらいいな。
「素敵なお祭りだなぁ」と、独り言のようにぽそっと呟いた一言に、
「これが八重畑の当たり前なんだよ。」
「この当たり前に、神様が宿るんだよ。」と、静かにかえってくる。
9月14日、2年ぶりに伺った八重畑熊野神社例大祭(岩手県花巻市石鳥谷町)で、一番印象に残っているやり取りです。
郷土芸能や祭礼というもののそんな在り方に、もしかしたら私は一番感動しているのかもしれません。
私にとって、こちらは門付けの芸能を生で見た初めての祭礼で、ここから私の芸脳人生(笑)は始まったんじゃないかなぁと思いくらい、印象的で、衝撃的な出会いでした。
今回は春日流八幡鹿踊の藤原さんや、石鳥谷町でこの春から地域おこし協力隊として頑張っている安部さんにご案内いただいての再訪です。
八重畑の熊野神社例大祭は、八重畑の方々によるお神輿の巡行に、同地区の関口神楽や十日市神楽、そして春日流八幡鹿踊が同行し、地区内の民家をめぐり、一年の五穀豊穣、無病息災を祈願するもの。
田園や民家の中を一行が進んでいく光景は素朴だけれど荘厳で、涙が出るほど美しく、大らか。
大地に根ざす力強さを感じさせます。
個人的に、9月はボッコボコになるくらい忙しいのですが、そんな時期だからこそ、2年前に見たあの光景を思い出し、再訪したいなぁと思ったのでした。
会いに行きたい人たち、また見たい景色があるということは、とても幸せなことです。
今回、大変畏れ多くも神楽の鉦打ちをさせていただきました。
その時のことが脳裏に焼き付いて離れません。
門付け先の座敷に上がらせていただき、薄暗い家内から強い日差しの中で輝く神輿に向き合い、神楽の皆様と共に正座します。賑やかだった道行きから一転、静謐な空気で満ちる空間。太鼓に合わせて鉦をひとたび打つごとに、静かに無心になっていくのを感じました。
神楽が終わると、鹿踊が奉納されます。家の中から見る、初めての鹿踊。
いつもの明るい日差しの中で見る鹿踊りとは違う姿。
悪霊を鎮め、五穀豊饒を願い、暮らしの安寧を祈るその踊りの、なんと厳かで優美なことか。
神社の中から、神様はこんな風に鹿踊を見ているのかななんて、鉦打ちを終えて放心した頭でぼうっと思いました。
奉納を終えて、もてなし(門付け先では、美味しい料理がたくさん振る舞われる)を受ける一行を眺めていると、鉦を手渡してくださった神楽の方がゆっくりと近づいてきて、一言。
「祭りは神官が居ればできるというものではないんだよね。」
獅子頭や神饌、神輿があり、それを担ぐ人々が居て、神楽や鹿踊があって、それをもてなす人々が居て。全部が欠けることなく揃って、初めて「祭り」になる。
「そういう景色が当たり前にあるから、神様も安心して降りてこれるわけ。
鉦、どうだった?神楽の一部になってたね。」
聞いた瞬間、胸がいっぱいで張り裂けそうになります。
私が八重畑の祭礼に惹かれる答えが、その一言にあるように感じられました。
今回、八幡鹿踊の皆さん一人一人と道行きの中でゆっくり言葉をかわすことが出来たのも、とても嬉しいことでした。それぞれの鹿踊に対する、情熱的とも言えるあついあつい想い。
本当にかっこいいです。話をしていて、何度も涙が出そうになりました。
鹿踊とはなんなのか。鹿踊を継承するとはどういうことなのか。
もっともっと時間をかけて、ゆっくり、感じていってみたいです。
2度来たら、3度目はもっともっと来たくなる。
次は来年かな。もっと早くに行っちゃうかな。またみんなに会いたいな。
心からそう思わせる祭礼です。
こんな素晴らしい出会いのきっかけを与えてくれた、春日流八幡鹿踊のみなさんに、心から、感謝です。
また必ず、行きますよー!
かんこ踊りを巡る2日目「松ヶ崎かんこ踊り(松阪市)」。
松ヶ崎かんこ踊りが行われる松崎浦町は海沿いに位置する静かな半農半漁の町。
蒲生氏郷が築いた松阪城の前身・松ヶ島城がかつてそびえていた地で
、当時松ヶ崎は大きな船倉を持つ城下町として大変栄えていたそうです。
6人一組、ききょうの花笠をサラシを顔に巻いた上から被り、たすき掛けの法被姿で踊ります。
踊り子は本来小学3年生からとのことですが、子供が少ない関係で1年生の踊り子が今年からデビューしていました。
猟師町はとても華やかにライトを当て、賑やかに巡行していましたが、こちらは暗闇の中でうごめくように踊る姿に背筋がゾクゾクするような恐ろしさ、美しさと、不思議な品格を感じさせました。
太鼓を叩いた後の独特の体のひねりがまたそれを助長させていて、まさにそれこそ踊り手の方々が苦労して体得する所作なのだそうです。
動画は、ベテランと言われる30代の踊り手によるもの。踊り手によって振りに個性があり、小さな子たちはそれぞれの憧れの先輩の姿をじっと見つめ、なんとか技を盗んでやろうと必死の様子。
芸能の継承が各地でどんどん困難になっていく中で、「憧れの踊り手」「ヒーロー」がいるということ自体、とても奇跡的で、貴重なことだよなぁ、感じます。
夜とはいえ真夏の気温の中、鼻と口を覆った状態でかなり激しく踊るため、一軒終えるたびに倒れこんでいく踊り手が続出。
踊っている間は厳しい眼差しでハッパをかけていた年長者たちが、倒れこむ踊り子に冗談を織り交ぜながら「よくやった」「うまかったぞ」と労いの声をかける姿がグッときました。
三重県松阪市猟師町かんこおどりを訪ねました。
やはりお盆のまつりは一層エネルギーが強くて、胸がずっとぎゅっとしている。
海念寺という町寺からスタートして、初盆の家々を三日間、毎日夜から朝まで踊って回ります。
初盆の各家での踊り子はその家の親族がやることになっていて、回った家のほとんどが故人の息子さんやお孫さんが務めているようでした。
家の人々は踊りのために絨毯やゴザを敷き、飲み物や軽食を用意して町内の人々をもてなし、その家の男児は亡くなった自分のおじいさん、おばあさんのために、踊りを精一杯披露する。
故人の中には、唄や踊りが好きで盆に熱心に貢献されていたという方も多く、その家では「おまけ」「おまけのおまけ」の音頭でどんどん長くなって、踊りもエスカレートしていきます。
汗だくで、一心不乱に踊る踊り子たち。
ある家で、踊り子に対して「亡くなったおじいさんに踊りも背格好もそっくりだねぇ」というおばあさんの声が聞こえました。
そこには少しだけ、ゾクッとするようなものを感じて踊り子に目を向けます。
踊り子は顔をサラシで覆い、一見誰だか判別がつかない。
踊りの間だけ、そこに故人が降りてきても良いよ、一緒に踊りましょうという、まるでそんなサインのようにも感じられたのです。
また、猟師町の人々は子供から大人まで、本当に太鼓や踊りが好きで、地元が好きでという方が多いようで、一様にみんな目をキラキラと輝かせていたのがとても印象的でした。
音頭取りやうちわ踊り(踊り子の周りでうちわを手に踊る)の年長の面々も、ここぞとばかりにエネルギーを発散します。
深夜〜明け方にも関わらず、煌々と灯りを照らし、高らかな音頭と笑い声が絶えない時間。
1軒につき、40分〜1時間ほどでしょうか。
それを涙を目に浮かべて手を合わせながら見つめ、一行が去る際には頭を大きく下げて感謝を伝える、そんな家の方々の姿に、初盆の悲壮感とはまた違う、何か言葉では形容できない感情を覚えました。
町中の人々の、様々な感情とエネルギーの渦がぐるぐると混ざり合い、攪拌されていくような空間、時間。
こうして太鼓の音と賑やかな笑い声を伴いながら、灯りは猟師町中を朝まで点々と移動し続けていきました。
今日は、一昨年伺った隣町の松ヶ崎かんこ踊りを訪ねます。
「仔鹿のまなざし八戸えんぶり編」からあっという間に一週間。
伝えることの難しさや、言葉を紡ぐことの恐ろしさを再認識し、大いに学んだ時間でした。
どんな想いで土地の人々がその地に暮らし、どんな風に芸能と共にあろうとしているのか。
20~30人から成るえんぶり組は、八戸に30組以上ありますが、それぞれの組によってもその想いや営み、苦労や喜びは異なるでしょう。組の中でも、一人一人が抱えている情熱や姿勢には違いがあるはずです。
そんなたくさんの人々がひとつの「えんぶり」という芸能のもと、長い時間と場を共有し、なんとか祭りの場で成就する。その瞬間だけを切り取り、その芸能者たちの「想いを伝える」なんて、そうやすやすと用いて良い言葉ではないのだと思います。
正直、仔鹿のまなざしの開催も、心から恐ろしいなぁと思っていました。話の構成も、直前まで悩みまくり…。
しかし終えてみると、「映像や写真を見ながら、自分がまさに現地に行っているかのようだった」
「八太郎えんぶり組、たかつねさんに会ってみたい」「民俗芸能ってこんなに身近で、こんな見方ができるんだ」という涙が出そうになるほど嬉しい反応を頂き。ああ、やって良かったなぁー。と心からホッとしました。
そして、「内容はともかく高橋さんの熱量がすごかった」とも、、笑
多分、何よりも、言葉よりも、現地で感じた感動やその温度を伝えられたのかなぁと思います。
今の私にはそれくらいしかできないし、それこそ研究者でも伝承者でもない自分が大切にすべき姿勢なのだと感じました。
ひとつの芸能についてお話ししようとするとき、芸能そのものよりも、その周辺に立ち現れてくるものを言葉にしたいなぁと思います。暮らしの営みや土地の個性、何を食べ、どんな音を聞き、どんな気候の中で日々何を感じているのか?どんな生業をしていて、子供達は自由な時間にどんな遊びをしていているのか?
目の前で息吹くその土地の日々に思いを馳せ、感じてみて初めて、えんぶりとはどんな芸能で、どのくらいの歴史を持つものなのか、練習にはどのくらいの時間を割いているのか、動きのどんな部分が重要なのか。そんなことが厚みを持って浮かび上がってくる。
何百年という歴史よりもまず、目の前の生活を目にしてみる。
そうしてはじめて、「芸能」という非常に複雑で、魅力的で、おそろしく、感動的なもの姿が少しずつ見えてくるのではないかと思うのです。
第一回の今回、伝えたいことが溢れかえってしまて、洪水のようになってしまいましたが、今後いろんな形で、焦らず、丁寧に継続して実行していきたいなと思います。
表題の写真は、会の当日、八戸から直送していただいた迫力の海の幸と、八太郎のお母様方につくり方を教えてもらった「たらこ炒り(八戸では『こ炒り』と呼ぶそう)」。そしてえんぶり組のまかない班と、打ち上げの様子。ここではじめてたらこ炒りを食べました。大根とたらこをごま油で絡め炒り、少量の醤油と酒、みりんで簡単に味付けをしたもの。お酒にもよく合う、八戸のおふくろの味だそうです。前日に作っておいたら、当日には旨味が大根によく染みて、とっても美味しく好評でした。
私にとってはえんぶり最終日の打ち上げを思い出し、八戸の日々を振り返る大切な味です。
「仔鹿のまなざし八戸えんぶり編」にお越しくださった皆様、本当にありがとうございました!
どうなることやら皆目見当もつかなかった当イベントも、無事に満員御礼で終えることができました。第1回のこの試みに、これだけ多くの方々が足を運んでくださるとは、思いもよらないことでした。予想を超えた応募に、参加をお断りせざるを得なかった方々、申し訳ございませんでした。
素晴らしいアーティストであり、大好きな友人・伏木庸平くんの展覧会に足を運んだのが、今回の会場となった書肆逆光のオーナー・鈴木学さんとの初めての出会い。そこで仔鹿ネットの話をしてからトントン拍子で今回のイベント開催が決まり、幾度かの話し合いを経て当日を迎えました。
今回大変驚き、また、有難かったのは、逆光のお客様が多くいらして、私にとって初めての出会いが沢山あったこと。そしてそれにも関わらず、トークの合間にみなさん気さくに疑問や感じたことをそれぞれのペースで発言してくださって、おかげで私も緊張がほぐれ、自然体でお話が出来たように思います。
八戸の美味しいお酒と肴を味わいながら、終始とても和やかで、心ある会となったことが、何より嬉しかったことでした。八戸の香りが、そうさせたのかな。
しかし同時に、盛りだくさんの課題と反省点もあり。次回に向けてしっかりと歩を進めていかなくてはと思いました。どんなにゆっくりでも良いから、足元を何度も何度も確認しながら成長できたらと。
この回でお伝えしきれなかったこと、たーくさん、たーーーーーーーーーーーくさん、あります。
仔鹿ネットより順次更新してまいりますので、そちらもぜひご覧ください。
会場を提供し暖かく見守ってくださった逆光の鈴木さん、現地でのご縁を繋げ、食材調達に惜しみなく協力してくださった今川さん、会場にお越しくださった皆様、改めまして、本当にありがとうございました。
2016年4月30日に開催予定の「仔鹿のまなざしー八戸えんぶり編ー」、当日のおもてなしについて、その2。
八戸には、豊かな海の恵みをこれでもかと引き立て、人々の心を潤す素晴らしいお酒もあります。訪ねたのは「陸奥八仙」や「陸奥男山」を醸す八戸酒造。
香り華やかで果実を頬張ったかのようにジューシーな「陸奥八仙(赤ラベル/無濾過生原酒)」を、一口飲んで恋に落ちて以来、念願の酒蔵見学でした。
文化財に指定された荘厳な建物に吟醸香の薫る手入れの行き届いた美しい蔵、プツプツぽこぽこと発酵を続ける白濁したモロミに、真摯に酒造りに取り組む蔵人たち。
好きなお酒がどんな背景を伴って造られているのか目にすることは、この上ない至福と発見の時間でありました。
イベント当日はこちらの八戸酒造から選りすぐりのラベルを数種ご用意してお待ちしております。
また、こちらのご縁をくださったのも八戸えんぶりと同じく、アートコーディネーターの今川和佳子さん。(一枚目の写真右。左は仔鹿の高橋です。右手は酒粕パック中。)
八戸出身の今川さんは、世代やジャンル・地域を超えて活動する表現者や表現そのものを見つけ出し、紹介し、つなげることで新たな視点や視座を与えるということを活動の指針とされている方。「酒と食はそれに付随して欠かせない要素」として、八戸の食文化とそれを支える人々の営みにも関心を持ち、精力的に発信されています。
八戸は総じて食レベルが非常に高く、連れて行かれた居酒屋の全てでのたうちまわるほどでした。そんな土地で愛されるお酒です。八戸の海の幸とともに、こちらもぜひお楽しみに。