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4月30日「仔鹿のまなざし–八戸えんぶり編–」を開催いたします!

2016年4月15日

民俗芸能を個人の視点から伝える仔鹿ネットも、開設してからまもなく1年。
このたび「古書と古物 書肆逆光」さんとご縁あり、素敵な骨董や古書に囲まれながら、これまでの経験をお話しする機会をいただくこととなりました。その名も「仔鹿のまなざし」。学者でも継承者でもない個人の目線で、民俗芸能を語ります。

第1回目は、今年2月に訪ねたばかりの八戸えんぶりについて。
なかでも八太郎えんぶり組に寄り添う1週間は、1人の人間、1つの集落組織によって芸が育まれるということについて、深く感じ、考えさせられる日々でした。
現地で撮影した動画や写真を交えて、踊り手の方々と共に過ごす中で得た発見を、等身大でお話出来ればと思います。

仔鹿のまなざし–八戸えんぶり編–
【日時】2016年4月30日(土)19:00~21:00(18:30より開場)
【会場】「古書と古物 書肆逆光」 東京都中央区八丁堀2丁目3−3 2F
【参加費】1000円(八戸のお酒と肴でお振る舞いいたします)
【定員】15名
【参加方法】参加をご希望の方は、お名前とメールアドレスを下記にて明記の上、お申込みください。
http://goo.gl/forms/BtjsfRejq2
【主催】仔鹿ネット https://www.facebook.com/cojika.net/
【協力】書肆逆光 http://gyakko.blogspot.jp/

【八戸えんぶりとは?】
今回ご紹介する「八戸えんぶり」は、青森県八戸市を中心に800年以上伝承されているといわれる民俗芸能で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
その年の豊作を祈願するための予祝行事として毎年2月17から20日にかけて行われ、田ならしや種まき、田植えなどの稲作の一連の動作を行い、田の神を冬の眠りから「動る(いぶる・ゆさぶり起こす)」意味があるとされます。
太夫と呼ばれる舞手が馬の頭を象(かたど)った烏帽子を被り、頭を大きく振る所作が特徴で、これを「えんぶり摺り(あるいは、単に『摺り』)」と呼びます。えんぶり摺りの合間には恵比寿舞や大黒舞などの祝福芸が行われ、八戸地域の人々の無病息災・商売繁盛を祈願して各地を門付けして回ります。
幡持ち、太鼓、笛、歌い手、太夫や舞手を合わせて総勢20~30名でひとつのえんぶり組とし、八戸ではなんと約30以上ものえんぶり組が地区毎に形成・伝承されています。
今回は八戸を拠点に活躍されているアートコーディネーター、今川和佳子さんのご協力により、八太郎えんぶり組(八戸市八太郎地区)の皆さまに祭礼期間の4日間を同行させていただきました。
「仔鹿のまなざし」では、その中で出会った八戸えんぶり、そして八太郎えんぶり組ならではの驚くべき(?)決まりごとや儀礼、暮らしと芸能の関係、地理や食のことなど、現地で記録した動画や写真を交えて掘り下げつつ、八戸の酒や肴と共に、学び感じたことをお話しできればと思います。

(仔鹿ネット 高橋亜弓)

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胡録神社の獅子舞|2015年10月25日

2015年10月25日

千葉県松戸市大橋・胡録神社の獅子舞へ。
関東を中心に広く分布し、一人立ち三人一組からなる「三匹獅子舞」のかたちをとるもので、松戸市では現在、和名ヶ谷・上本郷・そして今回訪れた大橋の3地区で伝えられているそうです。
大橋の獅子舞は毎年10月最終土日曜日の19時半から五穀豊穣を祝って行われますが、こちらが特徴的は道化役の猿が安産・良縁のまじないとして活躍する点。こちらの獅子舞はとてもゆったりとした動作で優雅に舞う一方、終始猿がその回りをくるくると歩き回り、妊婦さんや赤ん坊を優しく抱きしめたり撫でたり、悪戯好きの子供たちとちょっかいをかけあったりして忙しなく立ち回ります。その際、おひねりをもらうごとにみかんを手渡していたのにほっこりしました。
保存会の方曰く「短い唄」、そして休憩を挟んで「長い唄」という2部構成で舞が行われるのですが、唄の始めと終わりで必ず猿が先導し、赤いびんざさらとともに音頭を取ることから、この祭礼にとってかなり重要な役回りなのが分かります。
また、笛と唄に合わせて男根に見立てたしっぽをこすり合わせる所作をかなり象徴的に繰り返しているのがとても印象的でした。
他地域と比べ、見物人に地元の女性や子供たちの割合がかなり多かったので、やはりこちらの獅子舞は土地の方々にとって、特に子孫繁栄を願う意味合いが強いのでしょう。
それを示すかのように、獅子舞奉納後は獅子頭を子供たちにかぶせていました。子どもの健やかな成長を祈願するのだそうです。
さてその獅子頭ですが、こちらはそれぞれを前獅子(捻れ角)、中獅子(女獅子)、後獅子(直線的な角)と呼ぶのだそうで、シャモの毛の明るい部分を頭頂に、黒く長い部分を後頭部に流れるように配しています。また男獅子には白く長い鼻ひげが施されているのも特徴的でした。しかしなんといっても面白いのがその顔!目玉も鼻の穴も大きく真ん丸で、かなりパンチがあります…!!!
こんな獅子が夜の闇の中で踊ってるのですからなかなかに怖いはずなのですが、子供たちの視線は猿に集中しているので終始なごやかムード…。
また、さらに子供たちが喜ぶようなイベント(?)が。
ゴザがひかれた舞台での舞が終わり、猿を先頭に獅子が拝殿に戻って神前で短い舞を行われると、最後に菓子投げがはじまりそこに子供たちがビニール袋を手に殺到。なんでみんな手に空袋を持っているのだろうと思っていたら、そういう事だったんですね。
見物人に子供の姿をあまり見ない事が多いので、高いきゃあきゃあ声の中で見る獅子舞になんだか新鮮さを感じました。
風が強く、とても寒い日ではありましたが、笑い声が絶えない境内で心温まる時間を過ごさせて頂きました。

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民俗芸能のつどい〜仙台ゆかりの鹿踊〜③

2015年10月11日

「民俗芸能のつどい〜仙台ゆかりの鹿踊〜」出演団体、続いては裏町一丁目八ツ鹿踊り(愛媛県宇和島市)。
こちらは以前記事でも紹介しましたように、伊達政宗の長男・秀宗が宇和島入城の際、故郷・仙台の芸能を宇和島に伝えたことで、以後400年の間伝承されているという鹿踊です。
東日本にしか見られない鹿踊が海を越えた愛媛・宇和島の地で大切に育まれ、現在ではなんと100を超える地区で伝わっているとのこと。
しかし東北の鹿踊を想像して八ツ鹿の姿を見たら驚くこと必至。
カッと目を見開き歯をくいしばる頭に、地を力強く踏みしめながら踊る勇壮な東北の鹿踊とは大きく異なり、こちらの鹿踊は張子で出来た愛らしい鹿頭に、優雅でゆったりとした踊りが特徴です。
伝えられてから400年の間に、宇和島の文化圏の中でゆっくりと変化していったんですね。
郷土芸能・民俗芸能というものが、いかにその土地の風土や文化、人々の気質によって変容し、育まれていくものなのかが分かる、大きな事例と言えます。
幕に隠れて見えづらいですが、胸には羯鼓と呼ばれる小さな太鼓を締め、それを打ち鳴らし、歌いながら踊ります。
特徴的なのはその歌声。踊り手は小学4〜6年生の、変声前の男児たちと昔から決まりがあるようで、高く伸びやかな歌声が大変美しい。
また演目は、東北のそれと共通する「めじしかくし」というもので、雄鹿が屋敷の庭に隠された雌鹿をすすきの陰に見つけ、喜び合うというもの。歌詞も非常に類似点が多い。
しかし雄が雌を激しく取り合う形をとることが多い東北のそれと比べると、やはり優しく温和な雰囲気が漂います。
こちらは宇和島市内の宇和津彦神社の例祭で毎年10月29日に奉納されるもので、実はこの後、例祭に合わせて宇和島へ向かいました。
実際に宇和島の風土を感じながら見る八ツ鹿の様子を、後日レポートいたしますね。

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民俗芸能のつどい〜仙台ゆかりの鹿踊〜②

2015年10月11日

仙台で開催された「民俗芸能のつどい〜仙台ゆかりの鹿踊〜」に出演された、仙台発祥の鹿踊3団体について、それぞれ動画を元に紹介していきます。
(内容は、当日解説者として登壇された全日本郷土芸能協会の小岩秀太郎氏の解説を元にしております。)
まずは川前の鹿踊(宮城県仙台市青葉区芋沢の川前地区)。
仙台城址が位置する青葉区に伝承されていて、「鹿苑」と書かれた前立てと四ツ又の角を頭につけた中立(なかだち・リーダー的存在)一頭、雌鹿(角がない)一頭、「金の山」の立てものをつけた牡鹿七頭で構成された、九頭立ての鹿踊です。(今回はは出演者の都合で七頭のみの出演。)
これは仙台で発祥した構成で、旧仙台藩領に数多く伝わる鹿踊(腰に締めた太鼓を打ち鳴らしながら踊るのが特徴のため「太鼓踊り系鹿踊」とも)の基本構成となっており、他にも八頭立て、十二頭立てといった団体があるのだそう。
川前の鹿踊は鹿踊のルーツと言われている八幡堂(現在の青葉区八幡町の大崎八幡宮、龍宝寺周辺)で伊達家によって抱えられていた仙台鹿踊のうちのひとつで、当時より仙台城下の鹿踊として名を馳せてきた団体とのこと。
九曜紋が装束に配されていることからも、伊達家の寵愛を受けていたことが分かります。
さて拝見した印象はというと、飛んだり跳ねたり、大きく身体を揺すったりといった、ひょうきんな動きがとてもユニークでした。とはいえ、ヘビメタのごとく頭を思い切り振ってるのでかなりシンドイはず。
頭には鹿の角とヒラヒラした鳥の羽、目の周りにはモコモコした熊の毛皮。
モコモコ、ヒラヒラ、クネクネ、ブンブン。
軽やかな笛の音色や口が開閉することによるパクパクという音、背中のささらに取り付けられた鈴の音が少年たち(最年少はなんと6歳!)のあどけない所作に合わさり、可愛らしい印象を受けました。が、踊り手の子達は相当大変なことと思います…。
かつては青年たちによって踊られていたというので、今ともまた違う雰囲気だったことでしょう。
動画ではササが立ててありますが、鹿踊は新仏の供養にも踊られてきた芸能。盆の始まりは七夕ということで、鹿踊も七夕の時期から9月にかけて踊るものだったそうです。大きな前垂れも、仏教で用いられる五行色からきているとのこと。

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民俗芸能のつどい〜仙台ゆかりの鹿踊〜①

2015年10月11日

仙台発祥後、それぞれ独自の文化圏で育まれた鹿踊り(ししおどり)3団体が、400年越しに仙台城址に集結!
本日は仙台城址内の仙台市博物館にて、発祥のルーツを同じ仙台とする川前の鹿踊(宮城県仙台市)、金津流石関獅子躍(岩手県奥州市)、そして裏町一丁目八ツ鹿踊り(愛媛県宇和島市)の3団体が一同に会す企画が仙台市・宇和島市歴史姉妹都市締結40周年を記念して行われました。
仙台発祥の芸能が遠く離れた愛媛の地に?
また芸能に詳しい方は、東北にしか存在しないはずの鹿踊りが愛媛に?と思う方もいるかもしれません。
実は鹿踊りは仙台藩の篤い庇護のもと、大切にされてきた郷土芸能。約400年前、仙台藩主・伊達政宗の長男秀宗が伊予宇和島(愛媛県)に10万石を与えられ、入城した際に、故郷仙台を思ってか鹿踊りを共に伝えたとされています。400年の時を越えて里帰りを果たすという、非常に貴重な瞬間に立ち会うことが出来ました。
太鼓を胸や腰につけ、シシ頭を頭にかぶって踊る姿は共通するものの、それぞれ見た目は大きく異なります。もとの鹿踊りは裏町一丁目八ツ鹿踊りの胸につけた鞨鼓のように、小さい太鼓だったそうです。
それが仙台から離れ、時をかけ、土地それぞれの文化圏で育まれながら伝わっていくうちに現在のような進化を遂げたということなんですね。
郷土芸能がいかに土地に根ざしたものであるか、それを顕著に伝える大きな例といえます。
しかし一聴ではわからなかったものの、イントネーションは違えど各団体が部分的に同じ唄を歌っているということに気がついたときには、胸がぎゅっと熱くなるのを感じました。まるで400年前の唄声を聴いたかのようで。
それぞれの詳しい違いは写真だけでは伝わらないと思うので、動画を交えて後ほどアップいたしますね。
また、13時半から始まったこのイベントの前に、伝書や口伝によって鹿踊のルーツとされる八幡堂(青葉区八幡町の大崎八幡宮、龍宝寺周辺)を訪問。
ここから数々の鹿踊りが生まれていったのだと思うと、フツフツと興奮が湧き上がりました。

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谷保天満宮例祭宵宮|2015年9月26日

2015年9月26日

谷保天満宮宵宮での古式獅子舞の様子。
こちらの芸能は平安時代から伝わるといわれ、一人立ち三人一組の三匹獅子舞(関東圏に広く分布)のかたちをとっています。獅子頭はいわゆる唐獅子というより、顔がのっぺりと長く鼻が突き出ており、日本古来の造形に感じました。
宵宮ではまず、宵宮参りという、提灯を手にした各町内衆たちが参道から本殿まで進み、本殿の周りを3回周るお宮参りが行われ、古式獅子舞はその後に神楽殿前に設えた土俵の前で行われます。
行われるのは「女獅子隠し」というもの(三匹獅子だけでなく関東以北に多く伝わる一人立ち系のシシ踊りに共通する演目です)。
2匹の雄獅子が1匹の雌獅子を取り合うというもので、ここでは1時間近くかけて舞われました。
こちらが特徴的なのは、そこに天狗や道化が混ざり合い、茶化し率いながら踊りが進行されるという点。
天狗に至っては最初から最後まで掛け声を掛けながら全体を率いていきます。
笛や唄、法螺貝、そして獅子たち自身が叩く太鼓も、すべて天狗の掛け声を軸に展開していました。
また、手には団扇と男根を模した(?未確認です。)ように見える木の棒をもち、それらを擦り合わせて音を出し、音頭を取ります。
舞は30代くらいの、体格が立派な方々が担当されていて、獅子に至っては2m以上あるのではというくらい大きく、闇夜の中で怪しく畏しげで非常に迫力がありました。
翌日27日は正午から万灯行列が谷保駅→天満宮間で行われ、その後15時より古式獅子舞が同様に土俵で行われます。

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東大寺二月堂十七夜の盆踊り|2015年9月17日

2015年9月17日

奈良県「東大寺二月堂十七夜の盆踊り」へ行ってきました。
関西全域で二月さんと親しまれている二月堂信者による盆踊りで、関西各地から講社連中、同好会(中には東大寺に勤める若者による団体も)が集まり、関西の盆踊り納めとしてかつてより盛り上がりをみせてきた行事です。
関西を代表する河内音頭(鉄砲節)や江州音頭、泉州音頭を軸に、現代風にアレンジされた複数の音頭取りによって18時から21時過ぎまで、毎年9月17日に行われます。
基本の型はあれど振り付けは団体によって様々にアレンジされていて、中でも中高年のオジサマ方がひときわ目を引きます。キレッキレだったりたおやかだったり持ち味は異なれど、エネルギー全開、全身全霊で踊りを楽しむ姿には何か胸を打つものがありました。天気がぐずつく中、肌にぺっしゃりと吸い付く着物は雨のせいか汗のせいか。
河内音頭中組の方にお話を伺ったところ、40〜50年ほど前は現在のような櫓(やぐら)はなく、音も踊りの中心に備えていた太鼓台と伴奏なしの生音頭取りのみだったそうで、それでも当時はより活気があり、一晩中踊り続けたのだとか。
女性は長襦袢にほっかむり姿だったというから、さぞかし艶っぽかったことでしょう。
大阪発祥の河内音頭、かつては地区のあちこちでその音が聞こえていたそうですが、その数も大幅に少なくなり、年齢や性別問わず自由に自分の踊りを楽しめる貴重な場として、二月さんの十七夜は大事にされているのだそうです。

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長瀞猪子舞稽古見学|2015年8月9日

2015年8月9日

2013年山寺磐司祭、2014年日枝神社例大祭と毎年拝見させていただいている長瀞猪子踊り、今年も山寺磐司祭前に行われる練習の見学をさせて頂きました。
本番はもちろんだけれど、練習を拝見すると踊りの上で大切にしているポイントや、普段の踊り手同士のやり取りが見えてきてとても興味深いし、郷土芸能としての魅力をより強く感じます。

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佐渡の祭り|2015年4月12〜16日

2015年4月12日

4/12(日)-16(木)は佐渡へ。
芸能の宝庫・佐渡において、特に祭りが集中する時期と聞いては行かざるを得ません。
佐渡を拠点に国際的な公演活動を展開するプロの和太鼓集団「鼓童」の元メンバー千田倫子さんや、佐渡の120地区で行われている鬼太鼓のうちの100以上をその足でまわったという松田祐樹さんご両名にご案内頂き、5日間に渡って訪れた地区はなんと13地区。見学させて頂いた鼓童の研修所2カ所を含めると15地区にも及びます。
佐渡の芸能は、そのほとんどが門付け(神社を出発地として、地区の芸能団体が一軒一軒の前で奉納を行うスタイル)であるということが特徴のひとつ。各家ではごちそうを用意してその到着を待ちます。
その際面白いのは、ただの見物人でも招かれ、お宅の中で食事を頂くということ。そのため佐渡では食費がほとんどかかりませんでした…(その代わりといっては何ですが、佐渡産のワカメを大量に購入して帰りました!)
このみっちりぎっちり祭り漬けの5日間で学んだことは本当に沢山ありますが、特に印象的だったのが3日目。春日町での鬼太鼓門付けに、打ち出しの朝8時から17時まで同行した日のこと。
「祭りが地区を巡って、まるで見えない祝福のベールで地区を少しずつ覆っていくような感覚」、「地区の想いが伝播して行く感覚」を肌で感じられたということ。門付けに同行すると、その地区の方々と本当に沢山お話し、人々がどんなにかこの祭りを愛し、楽しみにしてきたかが分かるのです。
地区の中で進行形で育まれる祭りの姿が、本当に印象的でした。
踊り手も、稽古時よりも当日の方が気合いが入って上手いし、当日の中でもさらに成長していくのがありありと分かったりもします。
そんなダイナミズムが佐渡全域で行われているということ。そのエネルギー。
秋祭りもあるとのこと。真剣に秋も行きたい。

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徳丸の田遊び|2015年2月13日

2015年2月13日

徳丸北野神社の田遊びの様子。
今年で1020回目の奉納だそうですが、それはつまり1020年前の人々と同じものを共有しているかもしれないということ。見ている間はここが東京であるということを忘れてしまっていました。
田んぼなどない完全な住宅街の真ん中にある神社で、このような神事があるということ自体に驚きですが、かつてこの板橋徳丸地区は、非常に大きな穀倉地帯だったそうです。
毎年同じことを繰り返す芸能が内包しているものの重要さについて、改めて考えさせられることになりました。
神事では多く見られることですが、ここではすべての所作が「見立て」によって行われます。モガリ(舞台)の中央にすえた太鼓を田に見立て、その周りで稲作の各工程を見立てた神事が行われるのです。
例えば、苗に見立てた4人の子供を一人づつ順番に太鼓に乗せ、一同で持ち上げる「胴上げ」では、苗の成熟と子供の成長、子孫繁栄を祈願します。
(子供を抱える氏子のおじいさんたちが、ほんっとうに優しげな表情をしていて、なんだかそれだけでこちらも満たされる…。。)
他にも田を耕す牛や馬…?を模した簡易的な板の面がでてくるのですが、この絵付けもかなり独特で興味深い。(墨が随分きれいに残っているけれど、これは毎年作り変えているのかな?この、ヘタウマとだけでは到底言い表せない魅力はなんなんだろ…)
それを、氏子衆が笑い合いながら「おや、良い顔だなぁ」とか、子宝の象徴である、妊婦姿をした娘面(中身はおじいさん)には「今にも生まれそうなんじゃないか」などと冗談を投げたり。
芸能の良さは、神事そのものの興味深さだけでなく、その土地が育んできた土地の空気や在り方も同時に感じられるということなんだよなぁ、と、毎度のことながら感じたのでした。