Interview

小岩秀太郎(全日本郷土芸能協会):
第4回「いま、郷土芸能を伝えるということ」

2015年4月21日

民俗芸能って何だろう?そこから見えてくるものは一体何なのか?
実際に民俗芸能に関わる方々にインタビューすることで、様々な角度から掘り下げていきます。
Vol.1ゲストは公益社団法人全日本郷土芸能協会職員の小岩秀太郎さん。岩手県一関市舞川地区出身で、地元の芸能である行山流舞川鹿子躍の伝承者でもあります。東京を拠点に芸能のネットワーク作りを行うと同時に、「東京鹿踊」を結成し、芸能の本質的な在り方を伝える活動を精力的に行っています。
そんな小岩さんへのインタビューテーマは、「いま、民俗芸能を伝えるということ」。
芸能そのものの在り方や魅力について、小岩さんご自身の経歴に触れつつ、かみ砕いてお話頂きました。
(聞き手・高橋亜弓 撮影・田中有希)

震災を機に、「地域に根付いた芸能」を見つめ直した

ー震災があって、芸能に対する向き合い方が小岩さん自身変わったと聞きました。

小岩:俺が働く全郷芸はもともと大阪万博が創立のきっかけだから、とにかく日本を発信しましょうっていう動きが強かった。芸能を地域の外に出して、場合によっては舞台上で見せるための演出も与えてきた団体なんだよね。それによって今まで知られていなかった民俗芸能っていうものを広く発信出来たのは確かなんだけど。だからイベントごとに強いし、国内外の芸能団体の招致ともなれば全郷芸ってくらい、信頼も厚い。

1977年に行われた文化庁主催の第1回目の芸能招聘イベントのパンフレット。この頃から全郷芸が制作を行っている。

1977年に行われた文化庁主催の第1回目の芸能招聘イベントのパンフレット。この頃から全郷芸が制作を行っている。

でも近年、芸能団体を招聘するようなイベントが少なくなる中で、そもそも土地から離して行う芸能って何なんだろう、自分のやってる仕事って何なんだろうってことを考え始めた。もともと芸能の演出を俺はしたいわけじゃなかったし、芸能やってる人間としてもお客さんも少ないようなステージでやったって何の意味があるんだって思ってたから。で、そのきっかけが震災だったんだよね。

俺はたまたま岩手の出身だから、被災地の方々や芸能とつながれる時間が早くって。それで現地の情報を集めているうちに、沿岸の、地域に根付いた芸能を見つめ直すことができた。ああ、芸能っていうものは舞台だけじゃなかったんだってことに改めて気付かされたんだよね。だからそれまでやってきたステージものっていうよりも、地域ごとに手を染めるようになってきたの。それから今の、芸能に関する色んな方々との関係性やプロジェクトが始まっていったわけ。だから意図した訳じゃないんだよね。だけど、意図をさせようと思うようになった。

ー小岩さん自身、芸能を伝える様々な活動をされていますが、その大きなきっかけが震災だったんですね。

小岩:そう。全国で何万ってあるかわからないけど、民俗芸能があって、そのなかでステージだけを選んでる団体さんもあるし、うちの鹿子躍みたいに神社とかお寺とかにほとんど出ないっていうところも多いのね。踊り手が歳をとってしまって、神社やお寺に行くまで億劫だと。本当は行きたいんだよ?やんないと仏様や神様、ご先祖様から何されるかわからない、祟られるかもしれないしっていう思いはみんな持ってるんだけど。でもそれより足が動かない、と。

ー鹿子躍は装束だけで15kgって言ってましたもんね…。

小岩:そうそう。やっぱそういう状況が続けば続く程活気も薄れていくし、若い人たちも年寄りがやってるもんだから面白くないよねって風になって。頑張ってもがいてるんだけど、それに見向きもしない人たちがまた増えてくる。だから悪い循環だったんだよね。

でも一方で沿岸では、虎舞(※1)や七福神(※2)、鹿踊もそうなんだけど、若い人たちが祭りのなかで—祭りの神輿みたいなもんだよね、ある意味ね—みんなでやんなきゃダメなんだ、そうすれば酒飲めるし、いつも帰ってくる人間と会えるしって言う風な、地域に根付いた芸能をやり続けていた。そしてそれに岩手の内陸の人たちは気づいた。改めて見たんだよね。内陸は東京から比べれば全然田舎だけど、でも新幹線や高速道路通ったりして、近くにすぐコンビニもあるし、ほとんど生活的に都会と変わらないじゃない。だからそういう意味では、暮らしぶりから沿岸部なんかって気持ちもあるんだよね。言ってみれば。そのへんのところで考え方が全然違う。だけど、実はみんな同じような訛りで話をしているし、生活もしてるんだよね。そういうことに気づくきっかけになったのが震災だった。

(※1)虎舞:岩手県釜石市沿岸部一帯に伝わる芸能。虎の装束を獅子舞のように2人1組でまとい、勇ましく舞う。沿岸地域は江戸期に度々大火に見回れたことから、火除け信仰のある虎の威を借りたことが発祥という説がある。
(※2)七福神:岩手県大船渡市や宮城県の三陸沿岸部一帯に伝わる芸能。地域の子どもたちが七福神に扮して踊るというスタイルが主流。五穀豊穣、大漁萬作、商売繁盛、無病息災を願う。

ーもともと沿岸側と内陸側の人たちとで文化的な交流はほとんどなかったのですか?

小岩:ないないない。うちら(内陸の人たち)はステージでやる機会が多かったのに対して、沿岸の人たちは地域でやる方が面白いと思ってるから。ホールとか教育委員会主催の芸能大会とかはクソ食らえだと。酒も飲めねぇし、飯も食えねぇのに、なんでそんなもん出なきゃいけないんだって。一方で内陸の人たちは、屋外でやるのなんてだるいよね、とか足痛いよね、とかっていう話になって。ホール行けば弁当も出るし、もしかしたらお金も出るかもしれないっていう風になると、考え方がそこで全然違うわけでしょ。

小岩さん出身の舞川は、岩手県南の地区。宮城県に隣接する一関市のちょうど中央辺りに位置し、新幹線停車駅である一ノ関駅からもほど近いエリア。沿岸までは車で1時間以上かかる。地図データ©2015 Google,ZENRIN

小岩さん出身の舞川は、岩手県南の地区。宮城県に隣接する一関市のちょうど中央辺りに位置し、新幹線停車駅である一ノ関駅からもほど近いエリア。沿岸までは車で1時間以上かかる。地図データ©2015 Google,ZENRIN

ー都市と地方の差みたいなものの縮図が岩手の内陸と沿岸にあるという感じなんですね。

小岩:そ。でもそれは、知る由もなかったんだよね。だって全然考え方が違う訳だから。同じ芸能を出してみましょうって時も、お互い多分同じような考えをもっているんだろうなって感覚があるから、別に見もしないし、話もしないで、そのまま離れていったわけなんだよね。

ー小岩さん自身も、バックボーンを舞川に持ちながら、内陸と沿岸の文化の違いや祭りに対する考え方の違いとかっていう意識は震災以前にはあまりなかったのでしょうか?

小岩:ない。ない。全然ないよ。むしろ、鹿子躍以外興味なかったもん。全く。ほとんどみんなそうだと思うよ。競争相手もいないし、見る機会がないし、自分たちの保存会だけで本当にやりきってるんだって思ってたから。別に外部とやり取りする必要はなかったんだよね。

共通言語としての芸能

ー最近はテレビやネットなどでも民俗芸能が紹介されることが増えてきました。震災後に変わった価値観の中で、民俗芸能や郷土芸能を語ること、伝えることって、どういうことだと思いますか?

小岩:いちばん思っているのは、あ、これちょっと難しくなっちゃうけどいい(笑)?

ーどうぞどうぞ(笑)

小岩:東京だとこれから団塊の世代が溢れちゃって、その人たちはどこにいくんだろうってなると思う。ふるさとに戻るにしても、誰がどこに住んでるのか分からない世界になってるっていうのはみんな肌では感じてるはず。でも60歳になったし親の面倒みなきゃって帰る人たちが増えてくると思うんだよね。
そういう人たちが、民俗芸能やお祭りっていう、ずぅっと何千年、何百年その場で伝わってるものを上手く使って、土地に入っていくキッカケにできたらいいなって思っていて。
そういう意味では、民俗芸能が注目を浴びつつある現状はすごく良い流れだと思うんだよね。これも当然震災の関係があって。震災でどうにもならない思いや祈りを、発散するための寄りどころにできる芸能というものが東北にはたまたま多かったので、そいつをなんとか利用してやろうっていう思いはあったと思うんだよね。もちろん今までの日常的なところで出てくる芸能、生活に密着している芸能っていう部分をはずすわけにはいかないけど、そこを活用して行きましょうって言う人たちが出てきているのは間違いない。でもそもそも悪いことをしようとしているわけじゃないんだから、それに乗っかってしまうことは問題ないと思うんだよね。それに加えて、団塊の世代がこれから地元に帰っていくときに、上手くマッチすればもうちょっと帰りやすいふるさとを作っていけるんじゃないかって思う。

ーコミュニティに入りやすくなりますよね、芸能にコミットするだけで。

小岩:そう。だから、どんなにハゲ散らかしたオッサンでも、昔は子供だったわけ。その子供時代には、お祭りだとかに目を輝かしていた。あそこにいけばあの面白いジジイがいたとか、あの獅子舞にかまれたとかっていう記憶がずっと残っていて、それを50年間ずっとみんな持ち続けてきたと思うんだよね。そういう、ちょっとした記憶の部分を、みんなで同じように共有して語れる場になれる。

だから、東大でためちゃくちゃ頭のいい博士だろうと、そのころ同じ土地で育った手足のない男であろうと、みんな同じところで獅子舞に噛まれたんだよっていう記憶をもっていて。
で、それを帰ったときにみんなで話せたらいいんじゃないのって思うのね。それはふるさとありきの話なんだけど。帰ったときに、みんなが上下関係なくそういう話が全員できる。あのジジイがゆってたとかっていう話も、そこで話ができるとか、アイツ死んだんだって、とかってことも、それを通して話ができる。そういうふうに、とにかく共通言語になりうるんじゃないかなって強く思う。

ー逆にそういうものって、芸能くらいしかないのかもしれませんね。

小岩:そうそうそう。でもね、学校もひとつあって。校歌っていうものは100年くらい続けてきてるから、みんなが歌えるものでもあると思うんだよ。
だから校歌もひとつの芸能っていう考え方もできる。そういうふうな、共通概念を持てるものって地域の中でそんなにあるわけじゃないでしょ。いくら顔の見える村であっても家庭の中はそれぞれだし。仕事も、食べてるものもみんな違うだろうから。それをあえて持ち寄ってくるのがお祭りの場だったんじゃないかなって思う。

次回最終回はずばり、「民俗芸能なぜなにQ&A」!民俗芸能を全く見たことがないというカメラマンの田中有希さんに、民俗芸能に対する素朴な疑問を投げてもらいました。
第5回:民俗芸能なぜなにQ&A

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