Interview

小岩秀太郎(全日本郷土芸能協会):
第5回「民俗芸能なぜなにQ&A」

2015年4月22日

民俗芸能って何だろう?そこから見えてくるものは一体何なのか?
実際に民俗芸能に関わる方々にインタビューすることで、様々な角度から掘り下げていきます。
Vol.1ゲストは公益社団法人全日本郷土芸能協会職員の小岩秀太郎さん。岩手県一関市舞川地区出身で、地元の芸能である行山流舞川鹿子躍の伝承者でもあります。東京を拠点に芸能のネットワーク作りを行うと同時に、「東京鹿踊」を結成し、芸能の本質的な在り方を伝える活動を精力的に行っています。
そんな小岩さんへのインタビューテーマは、「いま、民俗芸能を伝えるということ」。
芸能そのものの在り方や魅力について、小岩さんご自身の経歴に触れつつ、かみ砕いてお話頂きました。
(聞き手・高橋亜弓 撮影・田中有希)

民俗芸能なぜなにQ&A

インタビューの終わりに、民俗芸能を全く見たことがないというカメラマンの田中有希さんからいくつか質問して頂きました。その際のやりとりがとても興味深く、民俗芸能への理解を深めるヒントとなったので、こちらに記載します。

世界各国のお面が見守る中で。

世界各国のお面が見守る中で。

田中:テレビで秋田のなまはげを見てて、斧が物騒だから止めようっていう話があったんですけど、それってどうなのかなって。民俗芸能的にそういう変わり方ってどうなんでしょう?

小岩:物が変わるのはそんなに大した問題じゃないんだけど、斧がじゃぁ何のためにあるのか、もうちょっとちゃんと考えないといけないよね。
単に危ないからっていうだけの視点だったら、意味がなくなっちゃう。

田中:そもそも意味があって作られたのに。

小岩:そう。ソフトにしたっていいと思うんだけど、斧を用いてきたそもそもの意味を聞いてからじゃないと。
人に泥を塗りつけるパーントゥ(※1)っていう芸能があって、体全部泥だらけにして、わぁっ!てやってくるヤツらなんだけど、それもなまはげと同じ役割がある。どっちとも、どっからかやってくるマレビトっていうモノなんだよね。なんか知らない世界からやってくるヤツら。それはサンタクロースとかもそう。どっからかやってきて、人々に幸福を与える役割を持ってるんだよね。それなのにその部分をはずして、ただ驚かされたから怖いとか。せっかくの私の大好きな服に泥をつけられたから嫌だとかって言われがちな時代になっていて。

パーントゥ

パーントゥ。出典:OKINAHOURS ©copyright ANA

(※1)パーントゥ(国指定重要無形民俗文化財):沖縄県平良市島尻地区と宮古島市野原(ぬばる)地区に伝承されている厄払いの習俗。全身蔓草をまとい泥まみれになった青年が新築の家屋や新生児に泥を塗りつけ、悪霊を祓うと同時に、嘉例(祝福)を与えるというもの。道中の人や物も構わず泥を塗り、地区全体に幸福をもたらすとして愛されてきたが、近年観光客から服を汚された等という苦情があり、島の観光協会も大々的な宣伝を控えるようになった。

小岩:例えばツイッターとかの発言がすぐに広がっていって、ふざけて言ったものも本気に捉えられてしまう時代になったからこそ、分かってる人間がちゃんとそこをフォローできるようにしとかなきゃいけない。いつもそういう、危険と隣り合わせの世界にいるんだよね。時には不快な思いをする/させる事もあるっていうこと。で、なんで不快な思いをさせないといけなかったのだろうかっていう裏のシーンを捉えられるようにそれぞれが勉強しとかないといけない。
まさかりなんか多分光り物として、魔除けの意味だと思うんだよね。おそらくね。

高橋:ご神体になったりもしますもんね。

小岩:そうそうそう。切れのあるものって言って。悪魔を切るものだと思う。

田中:腕にマジックで時計の絵を描いて遊んでいる子に、それは時計じゃないって教えている大人がいて。動かないし描いてあるだけって。その考えだと、さっきの鹿踊(抽象化された鹿頭の資料を拝見した)とかも、そんな鹿いないってなったらすぐそれで無くなっちゃうのかなって。

小岩:うん、そうだね。なんでも先に答えを出してすべてがそうだっていいがちな時代だからね。
子供のね、考えというか想像力をもっと与えてあげるためにも、こういう芸能をいっぱい見せたほうが良いんじゃないかって思うけどね。だって(芸能って)ワケわかんないじゃん!笑
でもワケがわからないっていうものを、見るっていうことでどんな感覚が出てくるのか体験させたいよね。

田中:どうしてこんなヤバいお祭りをするぐらいのパッションが、生まれてきたんでしょう。

小岩:死にたくないからじゃないかな。おそらくね。結局何が一番辛いかっていうと、食べ物がないということだと思うんだよね。生きるためには食べることが一番大事なのであって、それ以外のことは別にいいっちゃいいんだよ。腹が減ってもうどうしようもない中で、でももう、どう考えてもこの雲晴れないよね、このまま20日続いて太陽が出なかったら、もううちら飢え死にだよね。っていうところに多分晒されている状態があったから。それをなんとか雨を降らせたい、晴れないのは絶対なんかの悪が邪魔してるからだっていう思いがあった。それをなんとかしたいです、お願いしますっていう、そういう土壇場の思い。それがパッションに繋がってきてるんだと思う。

高橋:現代生活の中では食べ物も着る物も娯楽もあるし、何か本当に強く願うことってそうそうない。あるいは(願いの)対象が別の何かに大きく変わってる。そういう意味でも地域のお祭りっていうものがどうして行われてきたのか、現代ではそれがどう継承されているのか考えることって、色んな重要な発見に繋がると思います。

小岩:例えば(物々しいお面を手にとって)このお面を地面に叩きつけろって言われたら無理でしょ?何かがいるんじゃないかとか、お墓でおれはケツは出せないとかっていう思いって、やっぱみんな持ってるんだよね。今の人たちも。だからおみくじを引いて、うわ、大凶かよみたいな思いを持つっていうことが、すべて信仰ではないかもしれないけど、でもああ頼む大凶はやめてくれ〜っていうような思いが、昔はもっと強かったんだよね。

田中:ソーラン節も民俗芸能に含まれるんですか?

小岩:あれも含まれるよ。あれは民謡から来てるからね。もとからああだったわけじゃなくて。魚を獲りましょうっていうので、よっこいしょ!!とかいうでしょ。
あれと同じようなものを声に出すことで、言霊にもなるわけ。それで願いが叶うかもって。だから海の神様に向かってみんなで声を揃えて言えば、獲れるかもしれない。そういうのをやってるうちに、誰かすごい踊りがうまいやつが出てきたりして発展していったんじゃないかな。

歌ってみんなが上手いわけじゃないでしょ。下手なやつは網引っ張って力仕事すればいい、うまいやつが歌えばいいっていうように、分業して適材適所を見つけていくのも祭りの面白い部分だよね。どんな頭いいやつも、飲兵衛なやつも、目がないやつも指がないやつも、一つの場にそれぞれの役割を見つけて、ひとりひとりが活躍できる場っていうのはなんて平和な世界だろうなって思うよ。そう考えるとね。まぁそれで死ぬ人もいるんだけどね(笑)

田中:なるほど…。

小岩:ソーラン節は、そういう意味では民俗芸能の部類ではあったんだけども、誰かの手によってもうちょっと芸術的なものにまで高められて、みんな揃ったほうが格好いいっていう風になって。じゃぁせっかく揃えるんだったら衣裳もって言い始めて今のようになったと思うんだよね。
だから決してそれが悪いわけじゃない。それを先導する人間の、センスの問題。っていう話なんだよね。
装束の半纏がもっとセンスが良くて、もう少し暑苦しくない踊りをしたりすれば(笑)、民俗芸能側からもソーラン節って意外といいよねってなるかもしれない。センスの問題なのよ。リーダーシップとるやつの。

田中:学校の制服みたいな。この学校の制服がかわいいみたいなものに近いのかな。

高橋:ああそれわかりやすい(笑)!

小岩:あるある。で、そこで見えないオシャレをするやつがいたりして(笑)。

一同:(笑)

田中:同じ時代でそれぞれ衣裳がある中で、何か流行りっていうのもあったんですか?同じものみんなつけ始めたり。

小岩:いっぱいある。やっぱ祭りの場っていうのはいつも集まらない人たちが一気に集まるものだから、それなりにみんな気合を入れてくるわけ。そうすると、人より違うものをって気持ちもどっかしらあるので、その中にいいものがあれば真似してさらに発展させたりして。あいつ超可愛い格好しやがってって言って、次の年対抗してやり過ぎちゃったりとか。一年我慢しているうちに変な方向にいっちゃったりとかってこともありうるわけで(笑)。

一同:(笑)

田中:お母さんが裁縫が得意だったりしたらすごいクオリティになったりとか。

小岩:そうそうそう。それはあるよね、当然ね。

芸能を実際に見に行ってみたいという方に向けて

高橋:それでは最後に、民俗芸能に興味を持った、見に行ってみたいという方に向けて、一言お願いします。

小岩:芸能とかお祭りやってる人間ってめちゃくちゃいっぱいいるの。この世の中に。で、友達の一人にはやってる人が必ずいるから、そういう人頼って現地に行くのが一番早いんだよね。その友達は(芸能の意味など)多分わかんないと思う。芸能はやらされてきたものだから、自分の口からは言えないんだよね。だけど、それを外の人間があえて聞くことで、勉強しなきゃいけない状況になる。それが多分これから先すごく必要で。同じくらいの年の子が、普通に楽しんでくれる場なんだって気づくことにもなる。それでこのインタビューみたいにそれどうなってるの?何なの?って聞かれたものに答えられて、ああ俺しか知らない知識があるんだってレベルにまでいくと、今度はじゃぁいつも見せないんだけどさぁ、君なら見せるけど、ここにちょっとかっこいいクマのアップリケつけちゃった!

一同:(笑)

小岩:とかっていう、人間が絶対出てくるんだよね。だって友達同士だから。見せちゃいけないっていわれたって、せっかく来てくれたんだから何かしらのサービスしたげたいし。でも、本当はダメなんだって揺れ動く心情も芸能やお祭りの大事なとこなんだよね。それ以上やっちゃいけないんじゃないのっていう緊張感を、見る側も関わる側も知る。あえてそれを言ってもらうことも大事だろうし。そこでどんどんどんどん継続的に繋がっていけば、もう少し関わりやすい状況になるんじゃないかな。
あるいは、周りに自分から言い出す人もあんまりいないだろうから、俺がそういう人をいっぱい探して、みなさんに紹介するっていうこともできると思う。そういうふうに自分から言える演者側の人たちを、今育てているので。あえてそういう人たちを連れてくるっていう場を俺は提供している訳だよね。

基本的に現地へはコーディネーターがいないと難しいと思う。やっぱり(芸能は)地元のものなので、誰か知っている人が一緒にいない限りはなかなか気づきのところまではいかない。すごい悩んじゃうと思うんだよね、見ててもよく分かんなくて悶々としちゃうわけで。だから噛み砕ける人と行って、あるいはそこの人と繋げてもらって話をするっていう状況をつくるのが一番いいんだと思う。

高橋:そのコーディネーターとして、仔鹿ネットが少しでも機能すればいいなって思います。

小岩:おう、そうだね!

高橋:本日は有り難うございました!

インタビュー了(2015.2.27 公益社団法人全日本郷土芸能協会にて)

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