Interview, Report

アジアをリズムで解きほぐす「還住太鼓×八戸えんぶり×韓国農楽」後編

2020年10月25日

前編はこちら

オンライン交流会開始

そしていよいよ、八戸や韓国と回線を繋ぐ時間に。
この時点ですでに4時間経過しており、気温は30度を超え子供たちもバテ気味。

智史さん語り

ひとりずつ参加者に向けて自己紹介

みんなそれぞれ緊張しつつも、初めて対面する芸能者たちに自己紹介。

交流会の構成は
①青ヶ島還住太鼓披露、②八太郎えんぶり組による恵比寿舞披露、③韓国農楽披露、④青ヶ島の子供たちと農楽師イム・スンファンさんによる韓国農楽口上コラボ。
動画での様子はこちらからご覧ください↓

還住太鼓チームの番では、縦方向にバチ回しをしながらリズムよく叩く技を披露。これは還住太鼓独自のもので、青ヶ島の大噴火がモチーフなのだそう

初めてみる八戸の同世代の子の芸能を、みんな真剣に画面を見つめます

暑さと長時間の演奏でくたくたなのと、八戸勢や韓国勢の渾身の名演に少し面食らった様子。それでもなんとか最後は、習った韓国の口上をイムさんと画面越しに共演。最後にチェさんから改めて関係者紹介をし、無事終演となりました。

杖鼓(チャング)は全てかつてサムルノリを習っていたという智史さんの私物

ひとつのハイライトを乗り越え、反省会に移ります。
「全然違う太鼓叩いてた。」「あんな子がいるんだ。」と関心の声。それでもやっぱり、初めて出会う面々に、島の子供達はそれぞれ戸惑いが大きかったよう。そんな様子を見て智史さんから一喝。

「残念でした。みんなの暮らしも学校が休みになって大分変化したね。学生のうちは学校に通えないとやっぱりバランスが悪くなる。みんなの太鼓を見ていて非常に集中力がないなと思いました。いつも通りの夏だったらもっと集中力高いし、全部をコロナのせいにするわけではないけれど、これが社会のバランスが崩れるってことなんだと思う。楽しくやるっていうのが難しい世の中になっているから。やる時は全力で楽しんで欲しいです。」
それを受けてチェさん。「青ヶ島でお祭り無くなったでしょ?八戸もそうだし日本全国でそうなの。僕らミュージシャンは自分たちでイベント組めるけど、郷土芸能の人たちって1年の中で日にちが決まっていて、それが中止になってしまうとエネルギーの向けどころが分からなくなってしまう。そんな中で、こうやって同時刻で芸能をやる仲間と何かをやって共有したこと。多分今日じゃなくて、10年後くらいにすごいことやったなって感じると思う。」
目を見てうなずく子もいれば、下を向いて反抗的な素振りを見せる子も。疲れと戸惑いといつものようにできなかった自分と。様々な感情が交差します。

郷土芸能が担うもの

少しの休憩の後、夜21時まで太鼓の音は止みません。

智史さんの激励を受け、しばらくしょげていた子供たちも、とにかく叩く叩く叩く

言葉で反省を口にしないけれども、バツが悪そうにただ黙々と音で答えていこうとする不器用さが思春期の等身大で、智史さんの気持ちも子供たちの気持ちもなんとなく理解できます。
青ヶ島には高校が無いため、15歳になったら島を出なければなりません。
「(教育は)本当に難しいです。稽古を受け入れるのは小学校になってから15歳までなんですけど。あんまり追い込んでも逃げ回って終わってしまうし、人数が少ないからこその難しさがやっぱりあります。島では何か意地を貼って努力するっていうような状況が少なくて。繊細な精神状態も含めて太鼓にはストレートに出てしまうんです。(智史さん)」
しかし多感で未成熟な時期に、相手はもちろん自分とも向き合う重要さをなんとか太鼓を通して伝えようとしている智史さん。技だけでなく、人間性や社会生活も含めて郷土芸能であり、その継承には並々ならぬ忍耐と努力と時間が要るのだと、ひしひしと伝わってきます。

いよいよ12時間太鼓も終盤

私もドキマギしつつ、教わったゆっくりめの「ホンバタキ」を下打ちとして叩かせてもらいました。上打ちは智史さん。
おずおずと叩き出した瞬間、太鼓の向こう側から響く振動がバチを通してこちらにズゥンと伝わってくる、その衝撃といったら!背中にゾワっと一気に鳥肌が立つあの感覚は、忘れられません。音の連なりの中に組み込まれる感覚は、大きな水流に身を任せて漂うかのようで心地よく、低く重いビリビリとした振動の感触は、オーケストラの生演奏を身体めいっぱいで受け止める時のそれに近い感じがします。正味10分くらいでしょうか。どれだけ叩いてもずっと気持ちが良くて、すっかり陶酔してしまっていました。太鼓で会話なんてレベルにはとても至ってませんが、この感覚は言語以前の何か本能的快感に近いものだったように思えます。この衝撃的な感動を素直に伝えると、智史さんは嬉しそうに「気持ちよく叩けると時間を忘れますよね。温泉だと上せちゃうけど、太鼓だと上せきらないところでずっと気持ちよくいられるというか」とにこやかに笑ってくれました。

さぁいよいよ21時。

ラストスパートで叩きまくります。演奏を続けながらバーベキューの用意。近隣のご家族も集まってきました。

最後の挨拶

12時間を叩き終え、みんな口数も少なくくたくたに。よく、頑張りました…!
智史さんから締めの挨拶。「12時間お疲れ様でした。いやー、まだまだだね。もっともっと練習しなきゃね。こういう状況だけれども、稽古場を外に移したりしてなんとか工夫してやっていこうと想うので、これからも頑張りましょう。」

最後は花火と笑顔でお開き

皆さん本当にお疲れ様でした。

12時間太鼓を終えて

チェさん:八戸や韓国の芸能や、出会ったことの無い他の地域芸能についていくら現状を伝えても、正直島の子供たちはまだピンと来ないと思う。けれどこの島の芸能レベルはとても高い。他の地域の良いものと出会うべき。島にはいろんなバランスがあると思うけれど、それに気を使いすぎて何も出会わずに終わってしまうのが一番怖いことなんじゃないかな。

夜風を感じながら、荒井家のテラスでプチ打ち上げ

智史さん:本当にありがたいことです。僕たちの太鼓の一番肝心な『即興する』ということは、新しい感覚を開いていくことなんですよね。自分たちがこれでいいと内に閉じた瞬間に終わってしまう。それはとても難しいことで、常に新しいものにチャレンジしたり色んな人たちと交流して開いていかなければならない。それこそが還住太鼓の魂なんじゃないかと。閉じている太鼓はつまらなくて聞く気もしないです。
チェさん:こんな変なお節介おじさんがやってくるっていうのもたまにはいいでしょ(笑)

青ヶ島における「郷土」

記録的に過去200年のスパンで噴火を繰り返しているという青ヶ島。既にいつ大きな噴火が起きてまた青ヶ島に住めなくなってもおかしくない周期に入っているといいます。
智史さん:色んな時間軸があります。島には島の生きる時間があって、それぞれの時間軸でここに暮らした先祖の時間があって。僕自身にも一生という時間があるし、子供たちとこうして太鼓を通して繋がる時間はそれぞれが高校へ進学するまでのたった15年間ですしね。常に色んな時間軸の感覚を持っておくことが大切です。少なくとも、これから一緒に島で暮らしていく子供達への教育は自分の未来でもあるということは間違い無いですね。人口のとても少ない島ですから。

島の守神である神社に案内いただく。三代前までは巫女文化が色濃く残っており、太鼓が儀礼で用いられていたそう

日本において「数百年伝承されている」ということに注目されがちな郷土芸能ですが、今回のお話を伺って改めて「郷土」という言葉の意味を揺さぶられます。「音を通して還住をつないでいく」という智史さんの言葉が、太鼓の音の振動を受けた時の感動と共にずっと胸に残っています。島の想いや歴史の厚みを、島の子供たちは音を通して小さな頃から少しずつ心と体で感じ、学んでいく。
今回の交流を通して、智史さんの願うように子供たちが太鼓の音とともにより多くの出会いと経験の中で、「還住の魂」を紡いでいけますように。

後日談

後日、智史さんから一本の動画が送られてきました。
本島から赴任してきた学校の先生と、低学年の子供たちだそう。

そこには太鼓の音に合わせて島踊りを踊り、遊びながら稽古をしている様子が映されており、その姿に思わずボロボロと涙を流してしまいました。
また青ヶ島で、彼らと一緒に「還住」の音を楽しみたいです。
迎え入れてくださった智史さん、青ヶ島の皆様。本当にありがとうございました。

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