Interview

小岩秀太郎(全日本郷土芸能協会):
第2回「シシ踊りとは何か?」

2015年4月19日

民俗芸能って何だろう?そこから見えてくるものは一体何なのか?
実際に民俗芸能に関わる方々にインタビューすることで、様々な角度から掘り下げていきます。
Vol.1ゲストは公益社団法人全日本郷土芸能協会職員の小岩秀太郎さん。岩手県一関市舞川地区出身で、地元の芸能である行山流舞川鹿子躍の伝承者でもあります。東京を拠点に芸能のネットワーク作りを行うと同時に、「東京鹿踊」を結成し、芸能の本質的な在り方を伝える活動を精力的に行っています。
そんな小岩さんへのインタビューテーマは、「いま、民俗芸能を伝えるということ」。
芸能そのものの在り方や魅力について、小岩さんご自身の経歴に触れつつ、かみ砕いてお話頂きました。
(聞き手・高橋亜弓 撮影・田中有希)

岩手には鹿踊(ししおどり)という芸能がある

ー小岩さんは行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)の伝承者でもあるんですよね。まずは鹿踊(※1)とはどんなものか、教えて下さい。

(※1)行山流舞川鹿子躍では「鹿子躍」が正式名称だが、岩手や宮城での他の団体では総じて「鹿踊」と表記されることが多い。ここでは、舞川鹿子躍を特別に指す際は「鹿子躍」、全体を指す際は「鹿踊」と表記する。

小岩:「鹿踊」と書いて「ししおどり」だよね。で、猪っていうものも「しし」って読んだりするんだけど。「シシ」っていうのは、人間が食べるための肉を指した古語。食べるために人々が狩猟をするでしょ。そのときにどうしても獲りたいって願う。でも獲ったケモノをみたときに、ああかわいそうだなっていう思いもある。でもうまそうだな、食べないとこっちも腹減っちゃうよなって。頂きますっていって食べてた。だから狩猟の成功への願いだけじゃなくて、供養だったり、感謝の思いもそこに入ってくる。想像だけど、そういうのが形になったものなんじゃないかなって思うんだよね。

鹿子躍の装束を身に着けた小岩さん

鹿子躍の装束を身に着けた小岩さん ©Yusuke Nishimura

ー鹿踊をやっている団体は全部でいくつくらいあるのでしょうか。

小岩:うちらみたいな、鹿の角をつけて背中にササラをつけるタイプ(※2)の鹿踊は主に岩手県の南エリアにあって、60団体くらい。もと伊達領地だったところ。伊達政宗がつくった仙台藩エリアね。北は南部藩(江戸時代に盛岡藩に改称)だったところで、いわゆる幕踊り系(※3)のものが行われている。そっちは100団体以上あるね。

(※2)太鼓踊り系鹿踊:岩手県南部~宮城県北部(旧仙台藩)に伝わる。腰に締太鼓、頭に本物の鹿角と馬の毛で出来た「ザイ」と呼ばれる髪の毛を付けた木彫りの鹿頭(ししがしら)をかぶり、3m以上ある割いた竹に障子紙を貼って御幣(ごへい・神社でよく見る、白い紙を折ったもの)に見立てたササラを背中に背負うのが特徴。踊りの中で、ササラを地に叩きつけ、悪霊を祓う所作がある。このなかでもさらに行山流、金津流、春日流など3流派が存在し、小岩さんはそのなかでも行山流の伝承者。
(※3)幕踊り系鹿踊:遠野市以北の県中・北部(旧盛岡藩)に伝わる。踊り手とは別に囃子の演奏者がつく。幕で体を覆い、頭に木製の角や家紋などの透かし彫りを配した木彫りの鹿頭を載せ、柳の一種である木をカンナで薄く削って作った「カンナガラ」や、紙製の髪の毛「ザイ」が特徴。太鼓踊り系と比べて頭が大きく装飾が華やかだったり、抽象的なことが多い。踊りに合わせて幕を手に持ち、大きく振る所作を行う。

ーひえー、そんなに。

小岩:しかも幕踊り系は種類がいろいろあるからね。で、宮城県側にもある訳だから、太鼓踊り系も合わせたら100くらいになるんじゃないかな。いつか100対100で戦ってみたい(笑)

左:太鼓踊り系鹿踊/右:幕踊り系鹿踊

左:太鼓踊り系鹿踊/右:幕踊り系鹿踊(2013年撮影)

装束を通して鹿踊の背景を考える

ー鹿踊という芸能の魅力について教えて下さい。

小岩:あえて他の芸能と比べるとすると、(太鼓踊り系の鹿踊は)自分で太鼓をたたく。唄を歌う。踊りを踊る。っていうのがまずひとつあるね。ほんとはそれぞれさ、唄なら唄の芸能が、太鼓なら太鼓の芸能があるんだけど、それをひとつのものとしてやるっていうのは大変なこと。装束にしても全部つければひとり15kgくらいある。そういうものをわざわざやろうとするのが特徴なんだと思う。

ーすごい、15kg!装束自体もかなり個性的ですよね。

小岩:鹿踊は300年くらい歴史があるっていわれてるんだけど、それは残ってる古文書が300年前のものだってだけで、それがない時代もやってたと考えると600年やってるか1000年やってるか分からない。でも、どっかの段階で、この鹿の角つけてやろうぜっていった先人がいるわけだよね。えーっ!?て思うよね(笑)。

ーすごい発想ですよね(笑)。

小岩:なんで鹿の角つけようと思ったの?って。危ないじゃん、だいたい(笑)。

ー踊りの中でも、かなり飛んだり跳ねたりしますしね(笑)。

小岩:おれはもちろんつけた方がカッコイイと思うけど。でもカッコイイからつけたのか、鹿に対しての尊敬の念をもってつけたのか、どう思ったのかはわからない。それにめっちゃデカいやつじゃなくて、小さいやつを使ったりしてるんだよね…。あとね、4つに分かれてなきゃいけないって決まりもあるの。角の、枝の分かれ方。

絵に描いてみせてくれた。4つに分かれている鹿の角のみ鹿頭に使えるのだそう。

絵に描いてみせてくれた。4つに分かれている鹿の角のみ装束に使えるのだそう。

小岩:要するに、3股になってないとダメなんだよね。どこの鹿踊でも。でもなんでこういう決まりにしたんだろう、誰がこんなこと言ったんだろうってこととかも考えると、ゾクゾクするよね。

ー何ででしょうね…。

小岩:装束の中に、ヤマタノオロチ(※4)やスサノオ(※5)、他にも胎蔵界(※6)のうんぬん、五行色(※7)とか仏教の用語もすっごいいっぱいいれてるのよ。鹿踊って。それを入れたって事は、ある程度知識がないと入れられないわけだよね。でも知識が全員あったわけではないと思うから、そこに持ち込んだのはじゃぁ誰なんだとか考えるとすごい面白い。おそらく山伏(※8)だと思うんだけれども。でも山伏って、全国的にみても、たくさんいるわけでしょ。高野山とか羽黒山にもいるわけだし。その中のどっかの地区の山伏が関わって、鹿踊だけがこんな形になったのは何でかって考える。

(※4)ヤマタノオロチ(八岐大蛇):日本神話に登場する8つの頭と8本の尾を持った蛇の怪物。後述のスサノオによって退治される。鹿踊の鹿角の4つの枝分かれ(角は2つつけるので計8つの枝分かれ)の起源はこれに由来しているとも考えられている。なお、古来より8という数は最高位、多大を表すものとして用いられ、信仰的な意味合いもあったとされる。
(※5)スサノオ(須佐之男):日本神話に登場する神。アマテラス、ツクヨミと並び三貴神とされる。自然神、農耕神、文化神とも言われ様々な側面を持つが、ヤマタノオロチを退治する伝説が最も有名。鹿踊では袴に描かれていることがある。
(※6)胎蔵界:子供が母親の胎内で育つように、大日如来の慈悲により、本来存在している悟りの本質が育ち生まれてくる、という世界観を表す表現。曼荼羅として描かれることが多い。
(※7)五行色:陰陽五行説で示される、宇宙の5元素「火・木・土・金・水」を、それぞれ「赤・青・黄・白・黒(中間色として緑・紫が代替される場合もある)」で示したもの。
(※8)山伏:山中で修行をする修験道の行者のこと。世俗への信仰的な関わりの他、薬草を扱った医者としての側面や物流などにも関わり、諸国行脚修行なども行っていたことから、他地域から知識や文化をもたらす存在でもあった。

ー鹿踊は神社で奉納する印象が強いのですが、仏教的な要素も多いんですね。

小岩:うん。昔は区別なかったろうからね。背中に背負ってるササラにしたって、昔はこんなに長くなかったはずよ。でもどっかで神道的なものが入ったんだろうね。仏的なものが先にあったからそっちのが強かったんだろうけど。そこにあとからこういう長いものに、幣束をつけるようになったんじゃないかな。ササラって地を祓うためのもので、その役割をもってるのが御幣だったわけだから。

ー「ササラ」っていろんな芸能で形を変えて登場しますよね。

小岩:ササラはね、楽器だね。竹の楽器。すりざさらと、びんざさらっていうのがあって、びんざさらっていうのは南京玉すだれみたいな、しゃんしゃんってやつね。すりざさらっていうのは一本の竹を割ったやつで、片方はギザギザで、もう片方は何もついてないやつ。で、それをすり合わせて音を鳴らすっていう単純な楽器。東北の鹿踊ではなぜか背中に背負うものになっている。でもシシ踊全体(※9)は関東以北にあるもので、東京や埼玉、神奈川にもいっぱいある。そこでは、花笠を被っている女の子たちがササラをするんだよね。あのササラを摺って音を出すことで悪を祓うことにつながる。特にあれは陰陽なので、男女も示してるんだよね。つまり子孫繁栄や豊かさを招く象徴でもある。
だからすべて食と生み出すっていうことにつながっていくと思うんだよね。

(※9)東北の鹿踊とは異なるシシ踊りが関東以北にも多数存在する(シシには猪や獅子など、地域によってさまざまなケモノの字が当てられる)。

小岩:
あと、愛媛県の宇和島にだけはあるんだよ。同じタイプ(太鼓踊り系)の鹿踊が。でもそれは簡単な話で、伊達秀宗(伊予宇和島藩の初代藩主。仙台藩主伊達政宗の長男。)がそこに国を頂いたからなんだよね。それで面白いのは、宇和島のは可愛い鹿踊になるのね。子供がやることが多いんだけど、赤い衣装で顔も本当の鹿に近い。で、角もビってちゃんとつけて。でも、唄の歌詞とかやってる演目とかは同じなんだよ。あとこっちも必ず五行色はどこかに入れてるね。だけど300年の歴史の中で、岩手の鹿踊と全く関わらない間に、全然違くなるということ。それが民俗芸能なんだよ。それが、民俗芸能がそこに住んでる人たちの手や性格からできてきたものなんだなっていう一番分かりやすい例だと思う。それは全国で、いろんな芸能で行われてきたことなんだよね。

宇和島の鹿踊の図版を拝見

宇和島の鹿踊の図版を拝見

ー全然違う場所で行われていたり、一見印象が違うものでも、もとは同じものの場合もある。細かくみていくと、それぞれのルーツが見えてきたりするわけですね。日本という土地が、芸能を通して浮かび上がってくる。

小岩:そうそう。

次回は、小岩さんの芸能との出会いを振り返りながら、芸能の伝承者としての想いをお聞かせ頂きます。
第3回:芸能本来の在り方を考える

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