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築地市場移転前最後の本祭「つきじ獅子祭」

2015年6月22日

つきじ獅子祭の概要

日時 2015年6月10〜14日※毎年10日に近い金曜〜日曜。
概要 東京メトロ日比谷線「築地」駅より徒歩7分、都営大江戸築地市場に隣接する波除神社での夏の大祭。3年に1度の「本祭り」では渡御祭にて神社千貫宮神輿と雄雌どちらかの大獅子の2基が渡御される(「陰祭り」ではいずれか1基)。祭事期間中は他に国の重要無形民俗文化財の江戸里神楽の奉納や、町内の神輿・山車が一斉に神社に集合する連合社参なども行われる。

レポート

先週の土曜(6/13) はつきじ獅子祭へいってきました。
巨大な獅子頭が築地の町を練る姿を見てみたい!と兼ねてから思っていたこと、そして築地市場の豊洲移転前最後の本祭ということで、神輿が市場を巡行する姿を目にすべく足を運びました。
今回は特別に、千貫宮神輿と獅子の渡御(とぎょ/ご神霊が神輿・船などで巡幸する事)と共に、築地場内にある魚河岸水神社の神輿も巡行されるとのこと。市場が1935年に日本橋から築地に移設されて以来、最初で最後の出来事と言われているそうです。

神輿の渡御は12時50分の宮出し(御輿が神社の境内から出ること)から20時45分の宮入り(渡御を終えて神社の境内に入ること)まで定められた区画を約8時間かけて巡行。
私が現場に到着したのは15時過ぎ頃、宮出しの勢いが少し落ち着き、築地本願寺横を巡行しているところでした。

先頭を桃太郎山車、お歯黒獅子、千貫宮神輿、水神大神輿(門を曲がっているところでまだ見えてこない)が続きます。

そして…でたー!!お歯黒獅子!!

木彫で高さ2.15メートル、幅2.5メートル・重さ700kgだとか。江戸末期の大火によって一度全焼してしまったものの、平成14年に再興したそうです。

波除神社を含む築地一帯は江戸時代に埋め立て工事によって造成された土地ですが、当時は築いた堤防が何度も流されるほどの荒波が発生し、作業は非常に難航したそうです。
ところがある夜、海面に稲荷大神の御神体が現れ、人々がお祀りしたところ、波風が止み、工事もつつがなく完了したのだとか。
その後人々は稲荷大神に 『波除』 の名をつけ、雲を従える「龍」の頭、風を従える「虎」の頭、一声で万物を威伏させる「獅子」の巨大な頭を数体奉納しました。そしてこれを担いで回ったのが祭礼 『つきじ獅子祭』 の始まりとされています。
(参考「築地・波除神社公式サイト 神社の由来」:
http://www.namiyoke.or.jp/jinjyanogosyoukai.html

お歯黒獅子というのは、波除神社に納められている雄雌の大獅子のうちの雌のこと。頭の宝珠の中には、波除神社創建時に同時に奉られた弁財天のご神像が納められているのだそうです。
雌だからか、なんだか柔和で優しげな獅子だなぁ、雄の天井大獅子は一木造りと聞くけれど、こっちはどんな構造してるんだろう…顔料もすごい量使ってるよなぁ…毛は馬のものかな…などとあまりにまじまじとみつめているものだから、ハッと気がつけば担ぎ手の男の子たちに怪しげに見られてました…。

そしていよいよ神輿の列が近づいて来ると、さすがにすごい人だかり。「ウラ、シャー!ウラ、シャー!」と威勢の良い掛け声があたりいっぱいに響きます。

手前が千貫宮神輿で、奥が水神大神輿。

築地本願寺の横を通り過ぎたところに位置する備前橋手前で一旦下ろし、築波町内から築七町内へ巡行が引き継がれます。約8時間のなかで、各町内会が自分たちの地区の巡行時に担ぎ手を担当するわけです。このとき、各町内会の代表の柝(き・歌舞伎の幕の開閉などにも用いられる拍子木のこと。)がみもの。規定の時間ギリギリまで神輿を下ろすのを押しとどめて、なかなか神輿を下ろさせません。担ぎ手たちも、「まだまだいけるぞ!」「腰いれろ!」などと叫びながら最後の力を振り絞ってますます気迫を高めて行きます。
そして柝の小気味よい合図の後、神輿を下ろし、次の町内会へ引き継ぎます。担当を終えた担ぎ手たちは互いに労い合い、会長の胴上げが行われる場面もありました。引き継ぎのこの時間、担ぎ手への煽り方や労い方が会それぞれで個性があるので、それを見比べるのも面白いです。

柝で音頭をとる築波町内会長。

担ぎを終え、みなさん良い顔!

築波から神輿を引き継いだ築七のみなさん。今度は築七町内会長が挨拶し、全員の士気を高めます。

さてここで気になるのが、みなさんが羽織っている半纏。実はそれぞれの町内会や神輿会(神輿担ぎの同好会。親睦のある各地の祭りに担ぎ手として参加する。築地の町内会だけでは担ぎ手が足りないので、いくつかの神輿会と合同で担いでいるそうです。)ごとに異なります。

町内会の女性曰く、半纏の色を見るだけでどの地区の人かすぐに分かるとのこと。半纏を来た瞬間から、その地区の「顔」として振る舞わねばならないのよ、とも仰っていました。学校の制服と似ていますが、暮らしにぐっと近い共同体な分、より一層身が引き締まりそうです。
しかしひげ文字やら模様やら色使いやら、どのデザインも本当にかっこいい。わ、あそこのてぬぐいすっごく可愛い…!築地に引っ越すなら〇〇町に…なんて考える道中も面白いものです。

オレンジの半纏は囃子方のおじさま。粋です。右手の青地は東興会という神輿会のみなさん。半纏のデザインとても素敵。

馬(神輿を置く台)はリヤカーで運ぶ。

そうして2時間ほど巡行について歩いた後、一旦離れて波除神社や築地場内へ向かうことに。
道中で築六町内や宮元の御仮屋(仮に設けられた神座。各町内それぞれに用意される。)を発見。翌日の連合社参ではここからそれぞれの神輿が出発するのでしょう。

築六の御仮屋。

宮元の御仮屋。

波除神社周辺は屋台でにぎわっていました。ここ5年のうちに築地に爆発的に増えたという海外の観光客も多数見受けられます。

いい匂いが周辺に漂います。

波除神社。参拝客の祭りに関する質問に、禰宜さんたちが丁寧に答えている姿も見られました。

いつもの静かな境内から一変、大勢の参拝客でにぎわいます。

境内には魚河岸にまつわる様々な珍しい供養碑が納められて、市場との深い関係性が感じられます。活魚塚やすし塚など、魚河岸の方々の海産物に対する供養の想い、日々の感謝が込められているそうです。

活魚塚と鮟鱇(あんこう)塚。他にもすし塚や海老塚、玉子塚など、様々な石碑が境内に納められています。

また、雄の「天井大獅子」も普段からこの神社で見ることが出来ます。なんと黒檜の一木造りというから驚き。やはり雄の方が凛々しい表情に感じられます。

天井大獅子。高さ2.4メートル、幅3.3メートル、重さ1トンだそうです。

そして神社のすぐ脇の通用口から魚河岸水神社のある築地場内へ。実は築地にある神社は遥拝所(離れた所から神仏を拝むために設けられた場所)で、本殿は神田神社の境内にあります。市場は関東大震災以後、日本橋から築地に移転しましたが、その時にこの遥拝所が建立されたそうです。

魚河岸水神社遥拝所。拝殿の回りにはアジサイが綺麗に咲いていました。

拝殿を背に、場内を眺める。遥拝所が高い位置に設置されているのが分かります。

あわせて場内を少し歩いてみました。濡れたコンクリートやランプのひとつひとつ、大小の看板や秤に、築地市場という文化がしみ込んでいるように感じられます。

祭りは土曜。立ち寄ったのは午後なので、閑散としています。

氷売り場のシステムや所狭しに積上る発砲スチレン、走り回るターレー、いまいち奥がどうなってるか分からない2階(?)スペース、独特の建築構造に衝撃を受けて、行く度に毎度新しい発見に出会える場所。築地市場は思い出深い場所です。小売りをしてくれるおじさんに魚をわけて頂いたり、美味しい調理の仕方をこれでもかという程教わったり。一度場内に入るとしばらく潮のにおいが抜けなかったり。ひとつの大きな文化であることは間違いない。

以前場内に来たときにそのシステムに感動した氷販店。氷の受け渡しや裁断の手際がものすごく良いのです。一度見に行かれることを強くオススメします。(写真は去年のもの。)

さて少々休憩してから、再び一行のもとへ。時間は20時。いよいよ宮入りの時間が迫ります。
神社鳥居付近でしばらく待っていると、ずらりと各町内会の提灯が並び始めました。それに合わせて町内の方々や見物客が一気に集まります。

各町内会の提灯が整列する。

そして先導カー、桃太郎山車の囃子方が続々と到着。各代表の挨拶と掛け声の後、ついに神輿の宮入開始!

宮司さん、禰宜さんが先導します。

じわり…じわり…と境内に近づき、担ぎ手や囃し手の声が徐々に激しくなっていきます。

そして神輿が鳥居をくぐるかどうかの辺りでそれがピークに。
約8時間の巡行の後の、最大のクライマックス!。押したり引いたり、興奮状態の担ぎ手の熱気にこちらも当てられそうになります。そしてまさに今だ!というときに、一眼レフのメモリー切れ!!!!
ああもうそんなもんいいやと撮影も忘れて担ぎ手や観客に混じって「ウラ、シャー!ウラ、シャー!」と声を張り上げる私…。
鳥居をくぐろうとする担ぎ手に対し、それをなんとか押しとどめる連合会。観客は境内には入ってはいけないので見ることはできませんでしたが、どうやら会長が馬(神輿を置く台)に乗って柝で「まだまだ!!まだまだ!!!」と合図している模様。担ぎ手の額には玉の汗。こちらまで飛んできそうなほど。あらんかぎりの熱気でむせ返り、なんだかものすごく巨大なエネルギーのかたまりが、神社一体のエリアに充填されるかのよう。

かろうじてスマホで撮影した宮入の様子。右手が神輿。ブレブレ…笑

時間にして約5分後、柝の合図で宮入りが無事完了。
周囲は歓声と拍手の嵐。満身創痍の担ぎ手も、達成感でいっぱいの表情が垣間見えます。

そして最後に水神大神輿の宮入りが魚河岸会の手によって行われます。

この魚河岸会。町内会や神輿会とは異なり、市場を支える魚河岸の人々によって今回のために結成された団体なのだそうです。築地市場で働く人々にとって「水神さん」と親しまれてきた魚河岸水神社。すでに豊洲では新たな遥拝所が建立されており、御霊を移した後はこの水神社は取り壊しが決まっているのだそうです。どこか厳しい程に激しく、緊張感のある神輿の渡御には、様々な人々の思念が行き交っているように感じられました。

暗やみの場内を渡御する水神大神輿。背景にそびえるビル群と提灯の灯りのコントラスト。市場移転後にはここにもビルが建てられるとか…。

魚河岸会会長の合図でこちらの宮入りも完了。最後の挨拶では会の参加や各所への協力の感謝が語られ、盛大な三本締めでお開きとなりました。お神酒を頂いて、それぞれ談笑しつつ、解散していきます。

ちょっとびっくりしたのが、解散宣言もそこそこに神輿をトラックに積みこみはじめたこと。神輿も神田明神から持ってきたものだったようです。

こんな光景はなかなか見られません。

すべての儀式が終了し、築地の町は少しずつ静けさを取り戻して行きます。
時刻は22時。場内で少しぼんやりした後、駅まで向かい始めたところ、それぞれの町内会の担ぎ手が集まって最後の三本締めをしている場面にいくつか出会えました。

若睦連合会のみなさんが三本締めとしていました。こちらもスマホ撮影でボヤボヤ。

こちらも宮元の御仮屋の前で三本締め。

実は都内の大きな祭りで、ここまで最後まで見たことはありませんでした。今に生きる江戸文化を感じることができるのも東京の祭りの醍醐味ですね。見物させて頂き、お話を伺わせて頂いた皆様に、心から感謝です。

つきじ獅子祭の諸儀日程は下記になります。
日程は毎年異なるようですが、諸儀のスケジュールは同じなので、ぜひ来年の参考にしてみてください。

つきじ獅子祭諸儀日程

10日 大祭式
神前に早苗・寿司・お神酒が奉納される。
11日 鎮花祭・宵宮祭
百合の花神事、疫病除けの護符の授与、夏越の茅の輪くぐりが行われた後、神社境内の神輿庫や各町のお神酒所で神輿の遷座祭が遂行される。
12日 御神楽祭
若山胤雄社中による江戸里神楽(国の重要無形民俗文化財)が終日行われる。
13日 渡御祭
千貫宮神輿、お歯黒獅子、水神社大神輿の巡行が12時50分〜20時45分頃まで行われた後、千貫宮神輿と水神社大神輿の2基が宮入をする。
14日 町内神輿連合社参
お歯黒獅子が12時30分に女性のみに担がれて宮入を行う。築地全町の神輿・山車合わせて13~14基が神社に一同に集まりお祓いを受けた後、各町内に戻り巡行する。

おまけ。都会の祭りでいつも面白いなぁと思うのは、神輿が交流量の多い大通りを横断するとき。絶妙のタイミングで、すばやく、正確に渡りきります。さすがの江戸っ子連携プレー!

通りの向こう側で頃合いをはかる一行。

アクセス

会場 波除神社 東京都中央区築地 6-20-37
その他築地町内一円
交通アクセス 東京メトロ日比谷線「築地」駅より徒歩7分、都営大江戸線「築地市場」駅より徒歩5分

(書き手・高橋亜弓)

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