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木幡の幡祭り|2016年12月4日

2016年12月3日

年末から新年にかけてのこの数ヶ月は、自分のルーツを考える上で、とても大切な日々でした。
そのひとつが父方の祖母の実家地区の祭礼「幡祭り」に参列したこと。
父方の祖母の実家は、福島県二本松市木幡地区の塩沢堂社(集落)。
この地には国の無形民俗文化財として指定を受けた「木幡の幡祭り」が伝承されています。
五色の反物を縫い合わせて大きな五反幡とした幡を、木幡山山頂の隠津島神社本殿まで担ぎ運び、奉納するというもの。
木幡地区9堂社合わせて70本。五色の幡がまっすぐ天を向いてたなびく様は本当に美しい。かつては200本もの大群だったそうです。
出発地点の木幡小学校から隠津島神社本殿までは距離にして約3kmほど。しかし、かなりの急勾配と高さ9mはあろう五反幡を、山間の風を受けながら担ぎ上げるのはかなりの重労働。
かつては若者主体だったものの、高齢化と過疎化によって担ぎ手は60代以上の方がほとんど。
昨年に引き続きお世話になっている祖母の実家には、現在私の父の従兄弟にあたる光一おじさんが住んでいて、光一さんはことあるごとに「ここは限界集落だから」とつぶやいていました。「でも、しんどいからといって、一年でも休んでしまえば、二度とできなくなる」と。

この祭礼では、休憩と出発の合図に法螺笛(法螺貝のような音を発する、木製の縦笛)を用いる以外、楽器を用いません。
開けた田園地帯から山の中へ入ってしまえば、聞こえてくるのは「よいしょこらしょ」とか、他愛もない冗談や笑い声。そして土を踏む音。風に吹かれてサワサワと擦れる木々の音。鳥の鳴き声。たまに訪れる一瞬の静寂。
その中を、ゆっくりゆっくりと、休憩を挟みながらじっくりと登って行く。
時折木々の隙間から射す日光を、幡が受ける様がとても美しくて、穏やかで、涙が出そうになります。
この五反幡、かつては絹や紬など色とりどりの様々な反物を紡いで作られていたそうです。
亡くなった曽祖母の代までは養蚕も盛んで、自分たちの手で紡いだ織物を用いて神様に奉納していたといいます。
そして奉納後、幡を解いて反物を着物や下着に仕立てて、大切に身につけたのだそうです。
今は東京で近くに住んでいる祖母も、その時のことを懐かしそうに話してくれます。
この祭礼の起源については戦国時代の武将がどうのこうの〜といろいろ言われているけれども、一本一本の糸を時間をかけて大事大事に紡いで、それを氏神様に奉納していたおばあちゃんたちの気持ちの方が、なんだか私には身近に感じられるのです。
みんなで幡のずっしりとした重みと感じて歩きながら、この太陽の香りで溢れた暖かさと、日々を実直に生きるこの地の人々の尊さを噛み締める。これが祖先が代々受け継いできた「性」なのかななんて思ったりして。
祭礼の由来や成り立ちをもっともっと紐解いたり、よその部落に話を聞いたりすれば、もしかしたらまた違う印象を受けるのかもしれないけれども、「塩沢部落」という土地に私の祖先が生まれて、今もそこに血のつながりのある親戚が住んでいて、そしてその子孫である私がこの祭礼の「今」の姿を見て、そのように感じることを、今しっかりと胸に刻みたいなと思うのでした。
来年は、保管しているという機織り機を見せてもらえたらいいな。

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